7 ハリキリ弁当 代表取締役 大木真
神田さん、返してきました、私の名刺。「ハリキリ弁当 代表取締役 大木真」の名刺。
夫がくも膜下出血で倒れ、命はなんとか助かったけど後遺症が残って、嫁の人生が狂い始めた。そんな話、テレビや雑誌で何度も見たことある。泣いたこともある。でもね、誰も思わないんですよ、自分がそうなるなんて。次の小さな悲劇の物語の主役が私だなんて思ってない。思わないからかわいそうだなんて思えるんですよね、その時は。
倒れてから一週間。命の続投は決まったんです。でもね、右半身の麻痺と、かなりの愛を持って耳を傾けないと何を言っているのかも分からない言葉。これは治らないかもしれないと言われました。感謝しなきゃいけないって分かってますよ、助かっただけでも。でも、あの時死んでくれた方が楽だったのかもしれない。そう思っちゃいけないのは分かってますけど。命に感謝しなさいって堂々と言える人は、生きている誰かの命に心から迷惑をかけられたことがないんじゃないかと、今は思えます。あ~あ、残念な私ですね。
和孝さんが倒れて、私はすぐに決めました。私が社長として継ぐしかないなって。うちの弁当を楽しみにしてくれてる人に迷惑はかけられないって、変な正義感が出てね。正義感が人の人生を悲しいものにする時ってあるんですよね。そう考えるとムカついてきますよね! 正義感を生み出そうとする自分の脳ってやつに。
もちろん、弁当屋でやっていけるという自信もありましたから。なんと言っても、テレビ局の大量注文がある。これを取るために必死なんですから、どこの弁当屋さんも。
和孝さん、弁当屋を始める前は、洋食屋さんに十年以上勤めてたんです。夫が洋食屋を辞めて弁当屋を始める時に、そこの店のご主人は、怒るどころか、店によく来るテレビ局の人を何人も紹介してくれたんです。「こいつの店で弁当取ってやってください」って。
世の中の人間をいい人と悪い人に分けると、九対一で悪い人の方が多いと思っています。悪いというか、勝手というか、結局自分のことだけ考える人。自分も人から見ると「九」のうちに入るんだろうけど、たまに出会える十人のうちの一人に夫は様々な縁をもらえたんです。だからうちはデリバリーの弁当屋を始めてからも、定期的にテレビ局の弁当の注文があった。人気番組「ミステリースパイ」もそこがきっかけ。毎回二〇〇個の注文。これが月に二回はあるから弁当屋を辞めるという選択肢はなかったっていうのもあるんです。
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