僕は「がんばる」って言葉の語源があまり好きじゃないんですよ。「〝我〟を張る」ということなので。
そうじゃなくて、もっと周りの人たちを信頼しながら、仕事を楽しめる要素を見つけていくことが大事なんじゃないかな。
(木村拓哉,1972-)
ザ・スターの木村拓哉も、努力の人である
ジャニーズの中でもとりわけ、〝天才〟〝スター〟といった形容がしっくりくる男・木村拓哉。
『ロングバケーション』『ビューティフルライフ』『HERO』といったヒットドラマの並ぶ彼のキャリアを見ると、ずっと第一線を走り続けてきた人のような錯覚を覚えます。
しかし、SMAPというグループ自体が、デビューと同時にブレイクした人たちではないのと同じく、木村拓哉自身も、最初からうまくいっていた人ではないのです。彼は流されるままに、今の位置を獲得したわけではありません。
木村拓哉の努力について、SMAP結成初期から一緒に仕事をしている、放送作家・鈴木おさむはこう語っています。
「『SMAP×SMAP 特別編』で、インディアンの村に行く企画があったんですけど、そのときも、投げ縄とか、ひとつでもできないことがあったら、カメラが回ってようが回ってなかろうが、納得行くまで続けているんです。〝木村拓哉って何でもできちゃうよね〟って言う人は多いけど、何でもできちゃうように、彼は頑張っているんですよね。木村拓哉はまさに〝努力〟の人」
そう、木村拓哉もまた、努力で自分を輝かせていった人なのです。そして意識的に、輝きを放ちつづけている人。
それは映画『無限の住人』で木村拓哉を起用した、三池崇史監督のこんな言葉にも象徴されています。
「24時間〝木村拓哉〟なんですよ」
本人もこう語っています。
「素のときの自分と演じているときの自分を、意識して切り分けるということは一切ないですね。(中略)オン、オフのスイッチを入れたり、切ったりという感覚はないですね」
ずっと〝木村拓哉〟でい続ける。その強烈な意志。トップアイドルであり、主役級の人気俳優でもあり続ける。そんな立ち位置で、変わらない自分を貫くことは生半可なことではなく運や才能だけで太刀打ちできるはずもありません。
木村と共演した俳優・中井貴一は、こう語りました。
「僕たちの世界って、ホントに一瞬ポンと名前が出て、売れてっていうことも、とても難しいことだけど。それはある意味、大きな運を持っていればできることだけど。一等賞を走り続けてくっていうのは、その運と、そこに彼がしてきた努力みたいなものが、合わさらないと継続っていうのは出来ない。
彼は絶対に努力を見せませんからね。僕たちなんかよりもはるかに仕事が忙しく、色んな仕事をやっていらっしゃるんだけど、絶対、現場に台本は持ち込まないですし。どんなに長いシーンでも、彼が台本を見るってことはなかったですから。それは、どんな天才でも“努力”なんだと僕は思いますよね」
自ら一番手の座を譲った『あすなろ白書』
88年に結成され、91年にデビューしたSMAP。実は、結成当時は、木村が中心メンバーだったかというとそうではありません。リーダーは中居正広、89年には森且行がSMAPメンバーとしては初めてドラマの主演をしていますし、92年には稲垣吾郎の方が先に月9主演デビューを果たしているくらいです。
その一方、単発ドラマなどで経験を積んでいた木村に、チャンスがやってきたのは93年、21歳の時。月9ドラマ『あすなろ白書』・掛居くん役にキャスティングされたのです。
大学生男女5人の恋愛を描いたドラマ『あすなろ白書』で、掛居くんは、ヒロインに恋をされる、男の一番手の主役です。初めての連ドラ、しかも、当時、高視聴率を連発していたフジテレビの月9枠。普通の若手俳優なら、喜んでとびつく大役です。しかし、それを木村は断ったのです。
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