玉三郎流〈藝〉の伝え方

歌舞伎の〈いま〉を知る!
市川海老蔵をとりまく舞台模様を中心に、見るべき役者、人間関係、注目の演目などを解説する歌舞伎読本『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』(中川右介・著)。
本書の刊行を記念し、稀代の女形・坂東玉三郎のユニークなポジションを解説したパート「玉三郎スクール」を特別公開します。 第2回は、2014年の玉三郎スクールについて。

七之助を一人前に

2014年1月、立女形の姿は正月の歌舞伎座にはなかった。玉三郎は大阪松竹座での「初春特別舞踊公演」に出ていた。

歌舞伎座で主役級の女形として出ていたのは坂田藤十郎と中村魁春で、舞踊『おしどり』は魁春が染五郎と橋之助(後、芝翫)と踊り、『仮名手本忠臣蔵』九段目では戸無瀬を藤十郎、お石を魁春、小浪を扇雀がつとめた。

玉三郎に連れられて大阪松竹座に出たのは中村七之助だった。他に澤瀉屋の市川猿弥、市川月乃助(後、新派へ入り二代目喜多村緑郎)、市川笑三郎と、坂東薪車(後、成田屋一門に入り、市川九團次)が出た。

玉三郎の盟友でもあった中村勘三郎の次男で女形の七之助を一人前の女形にすることこそが、玉三郎スクールの当初の目標だったと言っていいだろう。

玉三郎は勘九郎・七之助兄弟の後ろ楯となった。

二月は玉三郎の公演はなく、七之助は菊之助、染五郎、松緑とともに歌舞伎座の花形歌舞伎に出ていた。三月に玉三郎は歌舞伎座に出て、昼の部では七之助と『二人藤娘』、夜の部では勘九郎と中村米吉と『日本振袖始 大蛇退治』を舞った。

『藤娘』は25日間の本興行ではもうやらないと表明していたが、ふたりで舞うことで体力面での負担が軽減されると分かり、やることにしたのだろう。菊之助との『京鹿子娘二人道成寺』についでの「二人(ににん)」物となった。

舞台で共演することでの藝の伝授と継承となり、それを観客は目撃することになる。

尾上右近を抜擢

玉三郎が次に舞台に出たのは6月に京都・南座での特別舞踊公演で、前半の5日から11日は「組踊と琉球舞踊」で、新作舞踊『聞得大君誕生』と創作舞踊『蓬莱島』で琉球舞踊の川満香多らが共演した。

この公演には歌舞伎役者は出ていない。

後半の15日から21日は「地唄三題」で、『鉤簾戸』『黒髪』『鐘ヶ岬』を舞った。

7月、半年ぶりに玉三郎は歌舞伎座に帰ってきた。海老蔵を迎え、猿之助抜きの澤瀉屋一門という座組である。

玉三郎は昼の部では海老蔵主演の『夏祭浪花鑑』でお辰をつきあい、夜の部は泉鏡花の『天守物語』の富姫をつとめた。海老蔵が図書之助で、これはもう何度も共演している名コンビだが、富姫の妹分にあたる亀姫には尾上右近を抜擢した。

尾上右近は、六代目尾上菊五郎の曾孫にあたる。父は清元延寿太夫で、その次男として生まれ、菊五郎劇団で修業していた。母方の祖父は映画スターの鶴田浩二という血統だ。

菊五郎劇団は、菊之助が若女形として不動のポジションにあったが、菊五郎襲名後を睨んで立役が多くなっており、中村時蔵の長男、梅枝が次のポジションにおり、右近にはなかなか役がまわってこない状況にあった。その右近を、玉三郎は旧歌舞伎座時代から抜擢していた。

私が最初に右近に注目したのは2008年2月の大阪松竹座での海老蔵が客演した「坂東玉三郎特別舞踊公演」で、『連獅子』を海老蔵とつとめたときだった。この公演では玉三郎と右近の共演はなかったが、同座はしていたのだ。

同年7月の歌舞伎座での玉三郎主演の『高野聖』にも右近は立役だったが起用されていた。

音羽屋一門の公演以外に右近が出るようになるには、玉三郎の働きかけがあったはずだ。

玉三郎の『天守物語』での亀姫の役は、将来の立女形候補への登竜門でもある。これまでに時蔵(当時、梅枝)、雀右衛門(当時、芝雀)、菊之助、春猿(現・河合雪之丞)、勘九郎らがつとめており、右近はその系譜に連なったのである。

7月の歌舞伎座は玉三郎と海老蔵が揃い、チケットも早々と売り切れていた。

勘三郎の三回忌

次に玉三郎が歌舞伎座に出るのは10月で、「十七世中村勘三郎二十七回忌、十八世勘三郎三回忌追善」と銘打たれた公演だ。

仁左衛門と玉三郎が実質的に後見役だった。出演したのは18代目と同座する機会が多かった、義弟でもある橋之助(現・芝翫)、扇雀、彌十郎、獅童、他に藤十郎、秀太郎、梅玉らである。

勘三郎家と親戚の吉右衛門や幸四郎、あるいは菊五郎は出ず、勘三郎の微妙なポジションをうかがわせた。

玉三郎は、昼の部では勘九郎が主役の『伊勢音頭恋寝刃』に仲居万野で出て、仁左衛門もまた料理人喜助で出て、ふたりで勘九郎を盛り立てた。夜の部は『寺子屋』で、仁左衛門が松王丸、玉三郎が千代、勘九郎が武部源蔵、七之助が戸浪で、若いふたりに、松王丸と千代の手本を示す舞台となった。

この月が、玉三郎と仁左衛門の、第五期歌舞伎座での二度目の共演である。

最後に勘三郎と玉三郎の当たり役だった、三島由紀夫作『鰯賣戀曳網』を勘九郎、七之助がつとめ、これはもちろん、玉三郎が指導した。

この三島歌舞伎は、17代目勘三郎と6代目歌右衛門に当てて書かれたもので、それを18代目と玉三郎が引き継いで、さらに勘九郎・七之助へ渡したのである。

後ろ楯のない役者のために

12月、玉三郎はこの年3度目の歌舞伎座に出た。

12月の歌舞伎座は長く三代目猿之助が出る月だったが、21世紀に入ってからは勘三郎が実質的な座頭で玉三郎が客演することが多かった。

7月に次いで、海老蔵と玉三郎が中心の座組となり、他に愛之助、尾上右近、獅童、松也、児太郎らも出た。みな、「実の親」が「歌舞伎座に現役の役者として出ていない」点で共通する。

「玉三郎スクール」と書いたが、これは「玉三郎ホーム(養護施設)」でもあったのだ。

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この連載について

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海老蔵を見る、歌舞伎を見る 特別編「玉三郎スクールとは何か」

中川右介

歌舞伎の〈いま〉を知る! 市川海老蔵をとりまく舞台模様を中心に、見るべき役者、人間関係、注目の演目などを解説する歌舞伎読本『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』(中川右介・著)。本書の刊行を記念し、稀代の女形・坂東玉三郎のユニークなポジション...もっと読む

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