谷川俊太郎「ノートに書いた詩を父親に見せる」

【第1回】詩人・谷川俊太郎さんが、自身の創作活動の歴史を語ります。詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞なども手がけて幅広く活躍されてきましたが、その活動の原点には何があるのでしょうか。まずは少年時代の話から伺います。(聞き手・ロバート キャンベル)
 ※本インタヴューでは自身が代表作を3点選び、それらを軸にして創作活動の歴史を振り返る。「二十億光年の孤独」(『二十億光年の孤独』1952)、「あなた」(『みみをすます』1982)、「さようなら」(『私』2007)。

ノートに書いた詩を父親に見せる

ロバート キャンベル(以下、キャンベル) この〈現代作家アーカイヴ〉は、現代の作家たちの話を聞きながら、その映像と音声を収録し、国内はもとより世界中に発信して、そしてそれを未来へとつなげていくものとして企画したものです。

まず、お誕生日おめでとうございます。谷川さんは12月15日が誕生日で、(2015年に)84歳になられたんですね。

谷川俊太郎(以下、谷川) はい。この頃こういう集まりで誕生日が近いと、バースデーケーキというのを出してくれるのですが、去年からろうそく1本になったんですよ(笑)。つまり、80何本立てても一息で消せないじゃないですか。だから気を利かせてくれたんじゃないかと。

キャンベル そうですか。谷川さんは10代の頃からずっと詩をお書きになっていて、10代の終りに華々しくデビューをされていますね。

谷川 いや、別に華々しくなかったんですよ。みんな、何かそういうふうに言うんですけどね。いまだったらテレビとかで華々しくデビューできたんだろうけど、当時はあまり話題にもならなかったという感じです。

キャンベル 当時というのは、谷川さんが19、20歳ぐらいですね。お父様である哲学者の谷川徹三さんが、この息子はどうやら大学に進みそうにないと行く末を案じた。けれども、谷川さんがノートにたくさんの詩をお書きになっていたのを、お父様がご覧になったということですね。

谷川 はい。戦争中、僕は中学時代に京都に疎開していました。

キャンベル お母様の実家ですね。

谷川 そうです。文化的なギャップなんかがあって、どんどん学校嫌いになってしまい、東京に戻ってついに高校でドロップアウトしちゃったんですね。担任の先生が、「このままでは君は卒業できない」、「定時制ならば卒業させてもらえるかもしれない」というので、そこに変わりました。

一応高校の卒業資格はあるんですが、とにかく大学に行く気はしなくて。一人っ子だから、何か制度のなかにいるのが居心地悪いんですね。でも僕は東大をちゃんと受験はしたんです。

キャンベル それは初耳です。

谷川 そうでしょう。それで、なにしろ初めから入学する気がないわけですから、試験の用紙が配られると真っ先に提出するんです、白紙のままで。するとみんな、「あいつはできる」と思うらしいんですよ(笑)。

キャンベル そうですね、その瞬間。

谷川 もちろん受かりませんでしたけども。それで父親は大学関係者でしたから、大学に行った方がいいと思っていたんでしょう。業を煮やして、「どうするつもりだ」と。そう言われたときに、僕は友達に誘われてノートに詩をぽつぽつ書いていたものを見せるしか無かったわけです。それを父に見せたんです。

父は哲学を勉強した人だけど、絵描きさんや小説家の知り合いが多くて、そっちの方がむしろ好きな人だったんですね。それで当時、有名な三好達治さんとも知り合いだったものですから、私の書いたノートを持っていってくれて。三好さんが認めてくださって、『文學界』という商業的な文学誌に紹介されたというのがスタートなんです。

キャンベル お父様の愛情を感じます。一人っ子でいらしたのですよね。

谷川 愛情かな。僕がノートを出したら、それに「○」とか「△」とか「×」を付けるんですよ。これはいいとか、これはだめとか。

キャンベル 採点をする。

谷川 そう。「◎」なんか付いていてね。当時は若かったから、「なんだ!」と思って怒ったんだけど、後で見てみると非常に正確な評価でした。彼はちゃんと詩がわかっていたんだと見直しましたけど。

ラジオ作りが好きだった少年時代

キャンベル お母様は音楽に造詣が深い方でいらっしゃいますね。

谷川 当時の上野の音楽学校、いまの東京藝術大学です。そこのピアノ科で習っていました。

キャンベル 谷川さんがインタヴューやご自分のエッセーのなかで何度も語られているんですが、小さいときは鉱石ラジオや飛行機の模型を作ったり、工作少年だったのですね。

谷川 そうなんですよ。僕はすごく不器用なくせに、手を使って何かを作るのが好きで。詩を書き始めたときも、友達に誘われただけで僕は詩なんかろくすっぽ読んでないんです。だから、その頃もラジオのハンダ付けとかそっちの方が大事だって感じでした。戦時中から戦後にかけてですね。

キャンベル ちょうど敗戦の年は13歳ですか。想像するに、その時期の谷川家ではお父様が哲学者であり、お母様の音楽もあり、そして谷川さんご自身はいろいろなパーツを買ってきてラジオを作るというご関心があって、非常に感覚器官が満たされる少年時代だったのではないでしょうか。

谷川 そうですね。後になって考えると、僕は本当に恵まれた環境で生まれ育ったなという気がしています。

キャンベル 東京は杉並区でずっとお育ちになったんですね。当時はかなり周りに自然が残っていて、畑があったりしたのではないですか。

谷川 うん、もう自分のうちから富士山が見えていました。周りは畑と田んぼでしたね。だから小学校は近くの杉並第二小学校だったんだけど、冬は凍った田んぼの上を横切って通っていました。


次回「受注生産で生計を立てる」へ続く


谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう) 

1931年生まれ。52年第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。75年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、83年『日々の地図』で読売文学賞、93年『世間知ラズ』で萩原朔太郎賞、2005年『シャガールと木の葉』で毎日芸術賞、08年『私』で詩歌文学館賞、10年『トロムソコラージュ』で鮎川信夫賞、16年『詩に就いて』で三好達治賞を受賞。詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など幅広く作品を発表。

ロバート キャンベル(Robert Campbell)

ニューヨーク市生まれ。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了、文学博士。1985年に九州大学文学部研究生として来日。東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て、国文学研究資料館長。専門は近世・近代日本文学。著書に『Jブンガク』、『ロバート キャンベルの小説家神髄』、『江戸の声—黒木文庫でみる音楽と演劇の世界』(編)、『海外見聞集』(校注)などがある。


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谷川俊太郎さんのインタヴュー動画|飯田橋文学会

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erimutchi この対談を実際に拝聴できたことはこの上なく幸せでございました 6ヶ月前 replyretweetfavorite

hiranok (cakes(ケイクス)) #NewsPicks https://t.co/qBtU0syxaB 6ヶ月前 replyretweetfavorite

mayumiura 【第1回】 6ヶ月前 replyretweetfavorite

ukon_mkt https://t.co/CtkORh9EeG 7ヶ月前 replyretweetfavorite