【前編はこちら】
東京交通会館の女子便所で、若い母娘が一緒に化粧をしている光景を見た。母親は私と同世代、娘はちょうど4歳くらい。「はい、キレイキレイね」と促されるまま、お粉をはたいてリップグロスをつけ、幼い娘は最後に鏡に向かって「うふ!」と笑ってみせた。
私はまず驚き、あざとくて、気味が悪くて、イヤだなぁ、と思った。何が「キレイキレイ」だ、化粧なんて、そんな小さな子供にはまだ早い、と腹立たしく思った。七五三などで晴れ着を着せてやるのとは話が違う。我が母の教えに照らしてみれば、この女は己の娘に、分別もつかない幼い時分から「本質を覆い隠して虚飾を盛る」「自分を化かして世を欺く」「愚かでブスな女になる方法」を、常日頃から教育しているのだから。
でも一方で、そんな光景を見て、なんだか哀しい気持ちになった。単にムカッ腹が立つだけではない、私をすっぽり覆い尽くすようなその哀しさの正体も、自分ではよくわかっている。要するに私は、あの母娘を「ちょっと羨ましいな」とも感じたのだ。
あの4歳児にとって、お化粧は「きれいになる魔法」だ。私もかつては魔法少女モノのアニメに熱中し、もしも魔法のコンパクトが手に入ったら、見違えるほど美しい成人女性に変身できると夢想していた。夢想を夢想のままで終え、魔法のコンパクトではなくなぜか特撮ヒーロー戦隊モノの変身ベルトをねだっていた4歳当時の私と、現実世界でもフェイスパウダーとリップグロスを使いこなしている4歳児とでは、世に言う「女子力」の差がすでにして桁違いに開いている。『超電子バイオマン』の銃剣セットを買ってもらったあの日から、地球の平和を守るため、いかなる悪とも闘い抜く覚悟はできているのだが、私は33歳にもなって、目の前のこの「んぱ!」の技術を知る女児には、勝てる気がしない。刺し違える自信すらない。
もし、と夢想する。もし、私の女親が、こんなに幼いうちから「キレイキレイはよいことだ」と教え込んでくれていたら。私はもっと別の人生を歩んでいたかもしれない。時間は巻き戻せないし、子供は親を選べないけれど、もし。すべての女の子が、生まれ持った美醜にかかわらず、技術の習得によって等しくキレイになるチャンスを与えられているのだと、たとえ嘘でも、教えてくれていたら。私もあの、媚び媚びの「うふ!」が作れる、大人の女になっていただろうか。そうして、いつか生まれる娘に少しでも早くキレイの魔法を授けて、後天的に獲得しうる幸福を最大限に引き出してあげようと願う母親に、なっただろうか。
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