ベストセラー作家との面談
「美鈴社長、お会いできてうれしいです」
当代随一のベストセラー作家である三本木竜彦は、笑顔で握手を求めてきた。
「私も超有名人に会えてうれしいです」と手を差し出す美鈴の後ろで、編集長の田之上は緊張で表情が引きつっていた。
三本木とSNS上で連絡を取り合っていた美鈴は、ついに六本木の高級マンションの最上階にある自宅兼書斎に招かれたのであった。美鈴は玄関に通された瞬間、「玄関だけで私の部屋の倍以上の広さがある」と田之上に耳打ちした。それほどの豪邸だった。
三本木は16年前の32歳のとき、デビュー作で直木賞を受賞すると、刊行する小説が次々とヒット。100万部以上のミリオンセラーは2冊、累計部数2000万部以上という超売れっ子である。今も小説を出せば30万部以上は確実に売れ、そのほとんどが映画化されていた。
もちろん、三本木の小説を刊行するのは歴史ある大手出版社ばかりで、常識からいえば、森下書房のような小さな出版社と付き合うことなどありえない。だから、編集長の田之上も三本木に執筆依頼するなどという発想はまったくなく、まさに雲の上の存在だった。
それゆえに、美鈴から「三本木竜彦が会いたいっていってる」と聞かされたとき、田之上は耳を疑った。たちの悪い冗談だろうと思った。だが、美鈴と三本木のSNS上でのやりとりを見せてもらって、ようやく美鈴がいっていることが事実だと理解した。
「SNS上でいきなり執筆依頼をされたのは初めてのことだったので驚きましたよ」
そういって三本木はにやりと笑った。180㎝を超えるスマートな体型に小ぎれいな白シャツとジャケットをまとっている三本木は、48歳という年齢よりずっと若く見えた。「作家というよりもIT企業の経営者みたい」というのが、美鈴の印象だった。
ぺこりと頭を下げた美鈴の代わりに、田之上があわてて弁明した。
「編集長の田之上です。このたびは突然のご無礼をお許しください」
田之上が菓子折りを手渡す横で、美鈴がプーッと頬を膨らませた。
「いえいえ、お詫びされるようなことは何もされていません。むしろ美鈴社長には、SNS上でずいぶんと新作の相談に乗っていただき、助かりました」
「そうそう。女子高生の生態についてね。今度の新作は女子高生が主役だっていうから、『リアルJKならこんなセリフはいわない』とか、『もっとこういう展開にしたほうが面白い』とか、ちょっとアドバイスしただけですよね。三ちゃんはリアルJKのこと、全然わかってないから」
「三ちゃんって……!! いろいろと申し訳ありません!」
田之上は、首がもげそうな勢いで何度も頭を下げた。
「まあまあまあ、田之上編集長、頭を上げてください。本当に美鈴社長の率直な意見は大変参考になりました。うちには中学生と高校生の子供がいますが、ふたりとも男でね。本物の女子高生に取材してみたいと思っていたんですよ。それに、最近は担当編集者もへんに気を遣って本音で話してくれませんけど、美鈴社長はストレートに感想をいってくれるので、メッセージのやりとりが本当に楽しかったんです」
恐縮するばかりの田之上は、さらにお詫びの言葉を述べようとしたが、美鈴が横から口を挟んだ。
「ところで、三ちゃん。新作はもう書き終わったんですか?」
「ええ。美鈴社長のおかげで、納得のいく作品に仕上がりました」
「それはよかったです。じゃあ、次は森下書房で書いてくれませんか?」
一瞬、困った顔を見せた三本木だが、すぐに美鈴の目をまっすぐに見つめて答えた。「ですから、それは前にも申し上げましたが、すぐには無理です。6年先まで執筆のスケジュールが埋まっているんです」
「そこを何とかお願いできませんか? 本当のこというと、うちの会社はいつつぶれてもおかしくない状態で、キャッシュが必要なんです。三ちゃんが森下書房で書いてくれたら、すぐに立て直すことができるんです!」
美鈴の表情も真剣そのものだった。
「美鈴社長には感謝しています。ぜひ一緒に仕事をさせていただきたいと思っています。だから、6年後でよろしければ、森下書房で執筆することをお約束します」
それを聞いた田之上は、あまりの驚きであんぐりと口を開いたまま、言葉が出てこなかった。あの三本木竜彦が森下書房で書いてくれる約束をしてくれるなんて……。6年分の盆と正月が一緒に来たような気分だった。
だが、美鈴はまだ納得していなかった。なおも食い下がる。
「6年後では遅いんです。ファイナンス的にいえば、今日の100万円は6年後の100万円よりも価値があるように、6年後の三ちゃんの原稿よりも、他の作家から今もらえる原稿のほうが価値は高いんです。だから、できるだけ早く書いてもらえないでしょうか」
「ファイナンス?」
三本木は不思議そうな顔を見せた。
「ファイナンスというのは……」
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