女子大生は、なぜ「受注数世界一の殺しの会社」を望むのか

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」
女子大生、桐生七海は本気だった。「営業」ができない、「広告」も打てない、「PR」なんてもってのほか、世界一売りづらい「殺し」をどう売るか――、そんな無理難題を「最強のマーケティング技巧」を持つ西城に弟子入りすることで解決しようとする七海。今話題の書店経営者が初めて書く新しいマーケティング&エンタメ小説、いよいよ開幕。

「君はどうしてマーケティングを極めたいの?」

桐生七海が初めてその銀髪の男に会ったとき、男は髭を蓄えた口元に薄く笑みを浮かべながら、丸メガネの奥の目を細めるようにして、からかうように一瞬だけ七海のほうを見て言った。

手元では、ノートパソコンのキーボードが、留まることなく軽快な音を鳴らしていた。それ はまるで音楽を奏でるかのようになめらかで、アウトプットの鬼と化している指が、ともすればとても優雅に思えた。

その書店、天王星書店は、どう見ても繁盛しているようには見えなかった。キーボードの音が鳴り響いて聞こえるほど静かだった。見渡してみても、七海の他に客はいなかった。ただ、その男と、カウンターの上に置物のように背筋を伸ばした黒猫が一匹いるだけだった。

店内の中央には、台座のように設えられた西洋風のカウンターがあり、まるでヨーロッパの図書館のようだった。天窓から白い光が降り注ぎ、カウンターに座る男の銀髪が自ら発光しているかのように見えた。

奮発して表参道の美容室に行ったのも、その帰りに買った普段は着ない丈の短いスカートも、 彼にはまるで効果がなかった。七海のスカートの丈よりも彼にとっては、彼に属する「時間」 のほうが当たり前のように大切らしかった。

彼の注意を引くべく、七海は最初からジョーカーを切った。

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」

冗談で言ったわけではなかった。七海は受注数世界一の殺しの会社を本気で創ろうとしていた。

七海の思惑に反して、彼のキーボードを打つ指の動きはすぐには止まらなかった。

ふっと小さくため息を吐き、自らに確認させるように、殺し、とゆっくりと言い、指を止めて無意識に口髭に手をやりながら、ようやく、まともに視線を上げた。上げた顔は、とても整った面立ちをしていた。

その目に射すくめられるように見られて、唐突に、七海の鼓動が高鳴った。

「殺しの会社を創りたいだって?   しかも、受注数世界一?」

怒っているというより、純粋に驚いているという調子で男は言った。銀髪の見た目から想像するよりも、ずっと声が若かった。

七海は息がつまりそうで、それに対して、うんうん、と二度頷くので精一杯だった。

このあとの、彼の反応によって、私の運命が決まる。

鼓動の高鳴りよりもかなり遅れて、七海の思考が追いついてきた。

こうして彼と会うまで、どれくらいの時間を費やしただろうか。彼のことを知ってからというもの、ほとんど大学に行くこともなく、空いているすべての時間を彼を探すのに費やしてきた。それでも彼の足取りは摑めなかった。正確に彼の場所を知っている人もいなかった。

今度こそは見つけたと思っても、彼は決まって直前で姿をくらましていた。幾度となくそうしたことがあって、途中、彼は実在しない架空の存在なのではないかと本気で疑っていた時期もあった。

けれども、こうして彼は目の前に存在する。今、この瞬間がまさに、ずっとそうなってほしいと思っていた未来だった。だが、七海はうまく実感できず、どこかふわふわした心持ちでいた。

企業だけではなく、世界中の政府とも仕事をしていると言われ、あまりの実績にその存在すら疑われ、伝説化しているマーケティング・マネージャ—マーケティング技巧を自由自在に操り、売れないものはなく、「世界最強のビジネス」を手にしているという。

男は椅子から立ち上がり、天窓から差し込む光溜まりを踏みしめるようにして、腰の後ろに 手を組み、年代物のデスクの前を行ったり来たりした。デスクの上にすっくと立つ黒猫は、薄目を開けて目だけで男の足取りを追った。よく磨かれた革靴の靴音がこの空間に響いた。それが、後ろの古時計が刻むリズムとマッチしていたので、まるで時を刻むかのようだった。

何かを考えているようだった。やがて、口を開いた。

「殺しということは、もちろん違法だよね。そして、販売価格もかなり高価だ」

男は歩を止めて、改めて七海のほうに向き直って続けた。

「何より、リスクが高い。君が殺される可能性だってある」

七海の顔をまっすぐ指した。

わかってます、と七海はその指先に催眠術をかけられたように頷く。

「本当にわかっている? これって、まるで『マーケティングの三重苦』だけど」

「マーケティングの三重苦?」

そう、とその男は銀髪の眉を上げて続けた。

「殺しだから、当然、表立って『営業』もできないし、『広告』も打てない。ましてやマスメディアに対する『PR』なんてもってのほか。マーケティングで最も使える武器である、この三つの武器がまったく使えないことになる」

「だから、三重苦……」

そうだね、とどこか楽しそうに男は言う。

「もちろん、インターネットで受注を募ることも不可能だよね。ということは、君が言うことは、完璧なまでに不可能なんだよ! 不・可・能だ!」

最後は大きく、歌うようにして言った。この不思議な空間に、「不可能」という言葉が爽快に響いたが、すぐに本に吸収されて音を失った。

その声の痕跡を追うように、あるいは、自分の思索のルートを宙に想い描くように、男は視線を漂わせた。猫が足先でボールを弄ぶように「不可能」という言葉を、頭の中で楽しんでいるように思えた。

わずかに訪れた思いがけない沈黙の中、七海は目を伏せながら言った。

「だから……」

彼に比べて声が小さく、つぶやきのようになった。

「ん?」

覗き込むように、男は七海の目を見た。その目には少年のように純度の高い好奇心があった。

七海は思い切って、その目を見返し、迫るように言った。

「だから、あなたに会いに来たんです。不可能なことだから、あなたの力が必要なんです」

男は、静かに七海を見つめていた。考えているようだった。表情はほとんど変わらなかったが、表皮の下で、何かを迷っているようにも見えた。

男が本棚のほうに視線を逸らそうとした瞬間、もしですよ、と七海はだめ押しするように言った。

「もし、その不可能を可能にすることができたら? もし、『殺し』を自在に売ることができるようになったら? 売ることが最も難しい『殺し』を世界一売れるようになったら—」

その言葉を引き取るようにして、男が言う。

「最強のマーケティング技巧を手に入れることになる、か」

そうです、と七海は頷く。

「私は受注数世界一の殺しの会社を、創らなければならないんです」

七海は、うっかり、「創りたい」と言うべきところを、「創らなければならない」と言ってしまっていた。

世界一の殺しの会社を創るのには、人には言えない理由があった。

なぜ、受注数世界一の殺しの会社を創らなければならないのか。そう聞かれたらどうしようと身構えていたが、杞憂に終わった。

彼は、ふっと、優しく微笑むと、静かにつぶやくようにこう言った。

「面白い」

それが、何よりの許諾の言葉に聞こえたのは、気のせいではないだろう。

「桐生七海。大学二年生。君は若いのにどういうわけか、ビジネスの本質を理解しているようだね」

「どうして私の名前を……」

「情報はお金で買えるんだよ。まさに、君がやったようにね。それだけじゃない。君が昨日、表参道の美容室でどう髪型を指定したかも、そのいつもより短いスカートをどこで買ったのかも、僕はちゃんと知っている」

「高野さん……」

そう、と男は余裕の笑みを浮かべて頷く。

七海は男に気づかれないようにため息を一つ吐いた。天を仰ぎたい気分だった。

高野とは、表向き弁護士をしている「情報屋」のことだ。高野は、七海に情報を流しながら、 一方でこの男にも情報を流していたのだろう。

「それで、いくら払った?」

「え?」

「だって、高野弁護士に情報料を払ったから、僕の居場所を知ることができたんだろう?」

もう、本気で観念するしかなかった。この人には、何も隠せない。

「税込みで一二〇万円です」

「悪くない額だ。そして、僕に会うまでどれくらいの時間を費やした?」

「およそ半年です」

「そんなところだろう」

男はなぜか満足そうに頷いた。

もしかして、と七海は今起きていることを整理してみた。

最初から、私がここに来ることをこの人は知っていた。
そして、こうして会ってくれた。

もし会う気がないのなら、姿をくらますことなど簡単だったはずだ。
ということは

「私に、最強のマーケティング技巧を教えてくれるんですか?」

男はとても軽い調子で、いいよ、と当たり前のように頷いた。

「教えるよ。受注数世界一の殺しの会社を創らなければならないんだろ? 面白そうだから、付き合うよ」

それを聞いて、七海の表情は一瞬にして綻んだ。胸に熱いものがこみ上げてきた。

「ありがとうございます」

七海は膝の前に手を揃えて頭を下げた。その途端に、涙が零れ落ちそうになった。これで、もう大丈夫だと、安心する気持ちがにわかに胸を満たし始めた。

同時に、疑念が新しく浮かんできた。

「でも、どうして、私に教えてくれるんですか?」

高野弁護士からは、たとえ、会えたとしても絶対に弟子を取らないだろうと言われていた。これまで何人もの人が師事しようとしたが、誰一人として弟子として認められた人はいなかったという。

男は面倒そうに七海のほうを見た。すでにカウンターの向こうの椅子に座り、また仕事に戻ろうとしていた。

「だって、君には、受注数世界一の殺しの会社を創らなければならない『理由』があるんだろ?」

七海の心を見透かすように言った。その瞬間に、七海の胸が再びどくんと高鳴った。全身から冷や汗が噴き出すように思えた。知られている、と七海は直感的に思った。

「その理由が、マーケティングを学ぶ、君の大きなインセンティブになる」

高鳴った七海の胸をピンポイントで指して、男は宣告するように言った。男の言うとおりだった。七海には最強のマーケティング技巧を学ばなければならないインセンティブ、つまりは「動機」があったのだ。

もしかして、すべては、見透かされていたのかもしれない。七海がここに来る前に、もうすでにこの男は、なぜ七海が殺しの会社を創らなければならないのかも、知っていたのかもしれない。

もう、男は笑っていなかった。デスクに両肘をつき、手を組み、その上に顎を乗せて悠然と七海を眺めていた。

伝説のマーケティング・マネージャーにして、世の中に売れないものはないと言われる男

「そうだ、名前……」

ぽつりとつぶやくように七海が言う。

男のほうは七海のすべてを知っているのに、こちらは男について何も知らないことに今更ながら気づいた。実は、男の名前すら知らなかった。

「名前?」

七海は頷く。

「あなたの、本名を教えてください」

男について、数々の伝説が囁かれていた。それでいて、誰一人、男の本名を知る人はいなかった。

ある人は「西城潤」とそれらしき名前で呼んだが、それはどうもペンネームらしかった。ある人は職業で呼んだが、それも複数あって、どれが彼の本職なのか判然としなかった。また、ある人は「先生」という尊称を用いた。「池袋」や「京都」というように地名で呼ぶ人もいたし、意味不明の横文字で呼ぶ人もいた。

「本名?」

その男は、本当にそれを自分に聞くのか、とでも言うように、鼻で笑うようにして言った。

「そんなもん、あぶなっかしくてとうの昔に捨てたさ」

七海は、目を見開くようにして、改めてその男の顔を見た。

本名を捨てた?
あぶなっかしいから名前を捨てた?

男は何事でもないように平然とその美しい顔を向け、七海の心の声が聴こえるかのように頷いた。そして、鮮やかに笑ってみせたのだった。

各種メディアで話題! 今話題の書店店主が書く、新しいマーケティング&エンタメ小説。好評発売中!

この連載について

殺し屋のマーケティング

三浦崇典

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」 女子大生、桐生七海は本気だった。「営業」ができない、「広告」も打てない、「PR」なんてもってのほか、世界一売りづらい「殺し」をどう売るか――、そんな無理難題を「最強...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Akiko0709 先週末読み終わったばっかなのにcakes連載開始してる…! マーケティング本としてもサスペンス小説としてもおもしろいよ。 2年以上前 replyretweetfavorite

chizthiz 人間ってのは欲望に手足が生えたものって、井原西鶴が言ってたっけ… つまんない小説。 マニュアル図解本の方がわかりやすいね。Qt 2年以上前 replyretweetfavorite

takanorimiura 【cakes連載開始/『殺し屋のマーケティング』】 2年以上前 replyretweetfavorite