きみのうつくしさには傷つくよ

エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。
これは「ぼく」が、ものや人を通じて、「生」を組み立てていくものがたり、 のようなエッセイ、のようなもの。

透明人間になりたいと願いながらバイトを続ける「ぼく」はある日、買い付けてきた品の中から、リカちゃん人形を見つけます。

 日が傾くと、倉庫のなかはまるで重いまぶたにのしかかられているみたいに暗さを増していった。それは決して身の毛のよだつような暗さじゃない。ものたちがしずかな吐息をぼくに向かって放っていて、そのまんなかでじんわりと眠りに落ちるような、安らぎにみちた暗さだった。

 ぼくはアールデコふうのインチキなランプをひとつだけつけて、いまやらなくたっていいような作業をのろのろとこなしながら、あたりがすっかり闇に落ちてしまうのを待っていた。

 しかしある瞬間、シャッターの向こうからとつぜん無神経なクラクションの音が響いてきて、すべてがぶち壊しになる。オーナーとうしおくんが買い付けから戻ってきたのだ。

 ランプを消し、しぶしぶ壁に備えつけられたボタンを押すと、シャッターは外の世界に威嚇するような音をたてながらゆっくりと開いていった。まぶしすぎる夕日のオレンジが、正義の光線みたいにまっすぐ入り込んでくる。

「ただいまー」

 オーナーはにこやかに車から降りてきた。一日中オーナーの手伝いをしていたうしおくんは乾いたピクルスみたくヘロヘロになっていて、助手席から降りてくるなり「ちょ、ちょっとパワーを」と、炭酸の抜けきったコーラを飲み干した。そしてすっかりペットボトルが空になると、細い身体をぐにゃりと折りたたむようにしてその場にしゃがみ込んでしまった。

「うしおくん、お疲れ様。荷下ろしはオーナーとぼくでやるからさ」

 あわれっぽく響かないよう細心の注意をはらって声をかけると、うしおくんは「い、いや、やります」と立ち上がろうとする。だけど、糸の切れたマリオネットみたいに動けない。一日中買い付けをしていたら当然だ。

「くそう」

 うしおくんはそう言って、くやしそうに膝を叩いた。

 うしおくんはいつもこうだ。いつだって真摯でうつくしい。

 ぼくは、こういった彼の姿を目の当たりにするたびに、自分のなかにほんのすこし残っている真心とか、うつくしさなんてものは、ちっともいいものじゃないんだってかなしくなる。つぎに、憎らしくなる。うしおくんをはじめとする、世界じゅうのきれいなものにたいして。そうなると、ぼくのいびつさは透明人間ではおさまらない。魔王だ。

 ワゴンのバッグドアを開けると、おおきめのダンボールで4箱、コンテナで5箱ぶんもの本やガラクタが詰まっていた。

「すごいだろ。実はもう一件買い付けあるんだぜ、今日!」

 オーナーは興奮しきった様子でそう言うと、さっさと荷物を降ろしはじめた。

 ぼくは事務所で暇をしていた木野さんに内応援を頼んで、オーナーが降ろした荷物をどんどん倉庫に運んでいった。木野さんは長いことここで働いているせいか、どんなに重たいものを運んでもピンピンしている。なにかコツがあるらしいけれど、身体で覚えていくしかないらしい。

 ぼくは透明になるために、筋肉なんかも捨ててしまったので(もともとなかった気もするけど)、こういうときまるで使い物にならない。一度なんて、本の詰まったコンテナを運んでいる途中、腕がひきちぎれそうになって、びっくりして泣いてしまった。

 重いコンテナを抱えて、まぶしい夕日と倉庫のあいだを延々往復していると、ふっと現実感が消える瞬間がある。思いきって腕の力を抜いたら、そのまますーっといなくなれるんじゃないかというくらい。

 けど決してそうしないのは、貴重な商品をこわすわけにはいかないからで、オーナーや木野さんに嫌われたくないからで、つまり結局のところ、まだまだ世界にしがみついているってことだ。そう思った途端、しっかりとコンテナの淵を持つ手がすごくみっともない今の自分を象徴しているようでつらくなる。自分はなんてどこにも行けなくて、たよりないんだろう。

「口が開いてるよ!」

 木野さんに叱られた。


 荷物をすべて降ろし終えると、オーナーは「じゃあな」と言って、早速次の買い付けに出かけていった。「つつ、着いていきます」と子犬みたいにすがりつくうしおくんを置きざりにして。ぼくは魔王であるから、やっぱりざまあみろ、なんて思ってしまった。

 さて、残されたぼくたちスタッフは、次の買付け品がきてしまうまえに、大量の商品を手早く分類していかなくてはいけない。ざっと見ると、この日買い付けたものは美術書とおもちゃがほとんどだった。古書はダンボールから出し、見やすいように背表紙を表に揃えて並べてしまうと、あとは美術担当の木ノ本さんと、古書担当のみずなくんに任せる。軽く300冊はあっただろうか。ふたりは本の山を見て、クリスマスの子供みたいな悲鳴をあげていた。

 スタッフは、みんなそれぞれ得意とする分野があって、たとえば美術だったり、文学だったり、歌謡史だったり、おもちゃだったりする。たいていは趣味から入っていて、膨大なコレクションが本になってしまった人もいるくらいだ。

 ちなみに、うしおくんは美術、木野さんはおもちゃを担当していて、ほかのひとが必死に検索したって出てこないようなことも知っているから、いまのところグーグルよりすごいってことになる。

「おっ、ゆうくん、女の子ものも結構あるよ!」

 木野さんが、おもちゃの詰まったダンボールをがさごそ掻き回しながらさけんだ。どきどきしながら近づいて覗き込むと、木野さんの好きなかいじゅうソフビや、なんとかレンジャーの武器のなかに、ぼくが担当させてもらっている女の子向けのおもちゃもいくつか混ざっている。

 逆さまに突っ込まれていた人形をひとつ拾い上げてみると、ぼくの大好きな3代目モデルのリカちゃんだった。はっきり言って脚を見ただけでわかった。興奮して、思わずわっと声がもれる。

 3代目リカちゃんは、80年代にすこしの間だけ発売されていたシリーズだ。人気が出なくてすぐにモデルチェンジされてしまったそうだけれど、たぶん顔のせいじゃないかと思う。やけにツンとしていて、「私、人形じゃないし」みたいなこと言いそうなんだもの。だけどぼくは、彼女のまさにそういうところが好きで、気に入っている。あこがれてしまう。

 結構遊び込まれていて、髪はボサボサ、おまけにパンツ以外になにも着ていない状態だった。でも、髪を綺麗にて、すこしクリーニングしてやればぴかぴかになりそうだ。事務所のぼくの机には、この子が着るための洋服も揃えてある。いろんなところに混ざっていたのを、ちょっとずつ集めているのだ。

「ゆうくん、お人形持ってるときだけいきいきしてるね」

 そう言われてはっとした。大好きなリカちゃんをまえに、ぼくは自分が透明人間だってことも忘れて、つい生き生きしてしまっていたのだ。なんてことだろう。はしたない。

「リカちゃんなんて私、触ったこともないよ」

 木野さんは、そう言ってダンボールから得体のしれないかいじゅうのソフビを拾い上げた。

「ぼくも、かいじゅうなんて触ったこともないです。去年しんだ祖父が一度買ってくれたけど、妹のほうがよろこんでたな」

「あはは、私と一緒だ」

 木野さんは笑いながら、得体のしれないかいじゅうの頭を撫でた。途端に、かいじゅうがおばあさんの膝で甘える子猫みたいに見えてくる。

「こいつの名前はドドンゴ。性別は不明。ちょっと変形しちゃってるけど、こんくらい私ならすぐに治せるな。どう、かっこいいでしょう」

 焼き爛れたような皮膚が、うなぎの蒲焼の皮の部分を連想させて、ちょっと吐き気がした。ぼくはうなぎがきらいなのだ。どうしよう。なんて言ったらいいだろう。

 なにも答えられずにいると、木野さんははじめからぼくに答えなんて望んでいなかったように淡く微笑んで、べつの話をしはじめた。

「ほんとはね、取り出してながめたり、修理したりするより、ダンボールにぐちゃぐちゃの状態がいちばんときめくんだ」

 木野さんの細い腕が、ゆっくりとオールで水のなかをかき回すみたいに、おもちゃたちの表面をなぞっていた。

 それならぼくにもわかる気がする。プレゼントだって、リボンをほどいてしまう前がいちばんわくわくするから。

「わかります、たぶん」

「なによ、たぶんって」

「あの……わかるか、わからないか、不確かってことです」

「なにそれ」

 木野さんは、怪訝そうな目でぼくを見た。カラス人間の目だ。

 ぼくは脇にじんわりと汗をかくのを感じながら、あわてて立ち上がった。

「あの、シャッター閉じてきます」

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ぼくは本当にいるのさ

少年アヤ

痛みと共に捨て去った、ひかりをぼくは取り戻す―― エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これ...もっと読む

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コメント

takfzy スーッと引き込まれる様な読み易くて美しい文章の中に小さな棘がチョイチョイあるのが又病みつきになる… 今回も面白かったなぁ。 2年以上前 replyretweetfavorite

2nd_penguin もうホント、天才かなって。わかりみありすぎて心臓がきゅっとするわ> 2年以上前 replyretweetfavorite

honya_arai とってもきれいなたましいめ。→ 2年以上前 replyretweetfavorite

jyokondo アヤちゃんの文章好きすぎて、集中しすぎて電車待ってたのに電車が来たことにびっくりしてしまった。意識が倉庫に飛んでいた。 2年以上前 replyretweetfavorite