やらない理由シーズン2のはじまりだ。
2ということは1がある。まずはそれをまとめた書籍版「やらない理由」をamazonなどでポチろう。それが終わったら、ブラウザを閉じるかパソコンを破壊して、そこら辺でも走ればいい。それが時間を有意義に使うということだ。
前回、さまざまな人の悩み、という名の寝言に、正論という名の寝言で立ち向かってきた。しかし人の寝言は尽きない。「濡れたティッシュを顔にかぶせる」という全共通の解決策はあるが「息の根が止まる」というデメリットも共通しているため、とりあえずそれ以外の方法を模索していきたい
「イチャイチャしたいが、甘えるのは嫌(というか苦手)」。
世の中には甘えるのが上手い人間と下手な人間がいる。前者は要領がよく、後者は悪い、という印象だ。つまり、甘えることができない、というのは「君、人生損しているよ」と、自称ワイン通に「ワインの味わかんない」と言った時のような、突然お他人様による「人生マイナス査定」を食らいかねない、ということである。
ワインの味がわからなくても、入っているビンでそいつを殴ることはできるが、暴力は良くないし、あなたが力士だと、傷害という枠を超えた問題になる。よって、人生鑑定おじさんにそんなことを言われないためにも、ペロペロに甘えていきたい。
まず、甘えることができない人がなぜできないかというと、甘えに対し罪悪感があるからではないだろうか。確かに日本は「甘え」に対し特に厳しい国だ。どれだけ窮状を訴えても「それは甘え」で完全論破できると思っている人が国内に5億人はいるし、ネット上だと控えめに言って5兆人はいる。
ではここで必要以上に糾弾されている「甘え」とは何か。おそらく「もっと努力の余地があるはずなのに、それをせずに安易に他人に頼ろうとしている」の意と思われる。いわゆる5兆人の主食「自己責任論」に通じる「甘え」だ。
確かに一理あるが、人の挫けを全部「甘え」でまとめてしまう国は「厳しい」そんな国で自分がこけたら「痛いとか甘え」「立ち上がれないとか甘え」「人の手を借りようとか甘え」「甘えてるからこけた」と言われてしまう。つまり「絶対にこけてはいけない国家24時」である。しかも罰ゲームはケツバット1発ではすまない。最悪「残りの人生すべて」を奪われかねないという、黒光り国家だ。
そもそも「甘え」というのは、上記で言ったような、悪い意味だけではない。
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