メゾン刻の湯

じいさん、ポルシェ乗ってたらしいよ—銭湯がイケイケだった頃

かつて防空壕だった地下室に残されていたのは、70年以上前に書かれた刻の湯の日誌だった。他人事だと思っていた時代と、自分が現在経っている場所とが、マヒコの中で地続きになっていく――。社会からハミ出たくせものたちの集まる銭湯シェアハウスが舞台の傑作青春小説、第12話です!

「……こんなものが、いまだに残ってるなんて」

 人一人が通れるほどの細い通路に、急な石段が暗闇へと続いている。僕は真っ暗な防空壕の中に、恐る恐る地下へと足を踏み入れた。ひんやりとした空気が肌を撫でる。アキラさんが懐中電灯をカチリ、とつける。天井と壁をコンクリートで補強された、2m四方ほどの小さな空間が現れた。

「戦時中は、人がここに隠れたんだろうなぁ。刻の湯は幸いにも焼け残ったらしいけど、ここらへんは空襲がひどかったらしいよ」

 そう言いながらアキラさんは石段を降りてゆく。不思議と、黴くさい匂いの背後から、古い紙の温もりある匂いが押し寄せてきた。懐中電灯が照らし出す小さな円の中心以外は、ひんやりとした真っ黒な闇が広がっている。

「幽霊も、お風呂に入るのかなあ。案外、僕らが店閉めた後に、ワイワイみんなで入ってたりして」

「やめてくださいよ」僕はあのじいさんの、枯れ木のような体を思い出した。

「じゃーん、見てこれ」

 そこにあったのは、両壁に並ぶ書架と、おびただしい数の日誌だった。

「これね、生前のトキさんが、死ぬ間際までつけてた日誌なんだよ」

「すごい……」

「何年からあると思う?なんと、昭和20年」

「マジっすか」

 アキラさんはそう言うと、棚の一番端にあるボロボロに黄ばんだ冊子を取り出した。パラリと紙をめくる音が、コンクリートの壁に響く。

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メゾン刻の湯

小野美由紀

”正しく”なくても”ふつう”じゃなくても懸命に僕らは生きていく。「傷口から人生」の小野美由紀が銭湯を舞台に描く、希望の青春群像劇! どうしても就活をする気になれず、内定のないまま卒業式を迎えたマヒコ。住む家も危うくなりかけたと...もっと読む

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