「……こんなものが、いまだに残ってるなんて」
人一人が通れるほどの細い通路に、急な石段が暗闇へと続いている。僕は真っ暗な防空壕の中に、恐る恐る地下へと足を踏み入れた。ひんやりとした空気が肌を撫でる。アキラさんが懐中電灯をカチリ、とつける。天井と壁をコンクリートで補強された、2m四方ほどの小さな空間が現れた。
「戦時中は、人がここに隠れたんだろうなぁ。刻の湯は幸いにも焼け残ったらしいけど、ここらへんは空襲がひどかったらしいよ」
そう言いながらアキラさんは石段を降りてゆく。不思議と、黴くさい匂いの背後から、古い紙の温もりある匂いが押し寄せてきた。懐中電灯が照らし出す小さな円の中心以外は、ひんやりとした真っ黒な闇が広がっている。
「幽霊も、お風呂に入るのかなあ。案外、僕らが店閉めた後に、ワイワイみんなで入ってたりして」
「やめてくださいよ」僕はあのじいさんの、枯れ木のような体を思い出した。
「じゃーん、見てこれ」
そこにあったのは、両壁に並ぶ書架と、おびただしい数の日誌だった。
「これね、生前のトキさんが、死ぬ間際までつけてた日誌なんだよ」
「すごい……」
「何年からあると思う?なんと、昭和20年」
「マジっすか」
アキラさんはそう言うと、棚の一番端にあるボロボロに黄ばんだ冊子を取り出した。パラリと紙をめくる音が、コンクリートの壁に響く。
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