世界は変えられないけど、自分たちは変わることができる!

デカルトといえば「我思う、ゆえに我あり」。そのくらいしか知らないし、だって何百年も前の人でしょ? そんな哲学者の教えが今を生きる私たちにどんな役に立つのかな? そう思われた人にこそ、ぜひ知ってほしいことがあります。「デカルトはこんなに面白いんです!」ということを伝えるために書いた『デカルトの憂鬱』の著者・津崎良典先生が知られざる哲学者の魅力にわかりやすく迫る集中インタビュー第1回目!

『デカルトの憂鬱』の刊行、おめでとうございます。この本を読むまで、デカルトという哲学者のことは社会の教科書で「我思う、ゆえに我あり」という言葉と一緒に習ったことがあるくらいで、それ以上のことは恥ずかしながら知りませんでした。デカルトが生きていたのはどんな時代だったんですか?

津崎良典(以下、津崎) デカルトが生きた17世紀というのは、様々なことが変わった時代なんです。一番わかりやすい例だと、天動説から地動説にという変化が起きた時代です。それまでは皆、太陽が動いていると考えていたのに、「もしかしたら動いているのは地球のほうなんじゃないか?」と考えるようになった。そこで変わったのは世界ではなくて、自分たちの物の見方です。太陽はずっと太陽のままなのに、太陽の見方が変わる。そういうことを様々な分野で経験したのが17世紀という時代で、その経験は「世界は変えられないけど、自分たちは変わることができるんだ」という自信をデカルトの哲学に与えたんじゃないでしょうか。

—デカルトに限らず、多くの人が「世界は変えられないけど、自分たちは変わることができるんだ」と実感した時代でもあるわけですね。

津崎 そうですね。デカルトだって私たちと同じように、ある時代のある社会に生まれた人間なんです。ただ、哲学者が何かに恵まれているとすれば—哲学者というのは普通の人が思い浮かべる幸せな人生とは程遠い生涯を送ることが多いですけど—それは時代の最先端の動きをキャッチする嗅覚を持っているということです。同時代を生きる他の人たちが気づかなかったことを感じ取り、それを表現する能力を持っている。これが哲学者です。その意味で、哲学者というのはデザイナーに近いかもしれません。社会というものは、私たちに対して圧倒的な強制力を持っています。日本であれば「家に上がる時は靴を脱ぐ」とか「お箸で皿を叩いてはいけません」とか、様々な決め事がある。しかし、人々を社会の決め事—つまり「デザイン」の「サイン」—とは別の方向に—「デザイン」の「デ」—導くのが、デザイナーであり、哲学者なんです。

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デカルトの憂鬱

津崎良典

悩みや心配、悲しみ、怒り、憎しみ……そんな「マイナスの感情を確実に乗り越えられる方法」はあるでしょうか? あの「我思う、ゆえに我在り」であまりにも有名な近代哲学の祖・デカルトが、私たちに降りかかるマイナスの状況にいかに対峙すべきか、「...もっと読む

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