自転車操業のワナ
「何から手をつければいいんだろう」
クリームソーダのアイスクリームを口に運びながら、美鈴は素直な気持ちを口にした。
「一つひとつ整理していきましょう。まず、何が原因で資金繰りの問題が起きているのでしょうか?」
「それは、返品の問題。返品率の上昇が資金繰りを苦しくすると、ミソじいはいっていたわ」
「ということは、返品率を低下させることが解決すべき課題ということですね」
「うん、私も『だったら返品率を減らせばいいじゃない』とミソじいにいったんだけど、『減らせるものなら、とっくにそうしている』って反論されちゃった」
「出版社の立場から見れば、返品率が高いというのは困った問題かもしれない。でも、読者の立場になってみたらどうでしょうか?」
「読者の立場? うーん、返品率が高いということは、読みたいと思ってくれる人が少ないっていうことじゃないかな」
「そう、ドライないい方ですが、その本にそれほどニーズがなかった、ということになります」
「ということは、読者のニーズよりも多く刷りすぎってことになるよね」
「もちろん、テーマや営業、マーケティングの問題もありますけど、そもそも刷りすぎなのかもしれない。本当に新刊の刷り部数が適正なのか、きちんと確認したほうがいいですね。刷り部数は、誰がどうやって決めているんですか?」
「先月、部数を決定する会議に参加したけど、制作部の設楽さんが進行していたかな。営業部と編集部、あと経理財務を担当するミソじいの意見を聞いていたけれど、最終的には制作部の人が決めていたみたい」
制作部とは本の造本に関わる部署で、印刷・製本業者との窓口でもある。本の制作費を管理する役割を担い、森下書房では制作部が刷り部数について決定権をもっている。
「ところで、さっきの美鈴さんの話では、昔の返品率は平均30%前後だったけれど、ここ2年ほどは40%近くで推移し、来月は40%台後半に数字が跳ね上がる見込みだ、っていうことでしたよね」
石島はあらためて確認した。
「うん、そうだよ」
「なぜ、2年ほど前から10%も返品率が上がってしまったのでしょうか?」
「あっ、それ私も気になって、ミソじいに聞いたよ。『出版不況だからしかたない』って言っていたけど」
「出版不況が原因……ですか。出版不況は最近始まった話ではないはずですが……おかしいですね」
美鈴は、石島の眼鏡の奥の眼が鋭く光るのを見過ごさなかった。
石島には、すでに答えが見えているのかもしれない——。確信はないが、美鈴にはそんな予感がした。
石島はあごに手を当てながら少し考え込む様子を見せたあと、おもむろに口を開いた。
「ここでファイナンスの話をしておきましょうか」
「待ってました! ファイナンス」
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