相手が「そうかなあ……」という顔をしている
あるときあなたは、中国に10年間の駐在経験があるというSさんと知り合いました。
自分自身、学生時代から中国びいきで、何度も中国を旅しているあなたは、すっかり嬉しくなってこう尋ねます。
「中国って本当に面白いですよね。どの街がお好きですか?」
ところが、絶対に盛り上がると思ったこの質問に、Sさんはなぜか(そうかなぁ……)とでも言いたそうな、怪訝そうな表情。
「ずっと上海にいて、あまりあちこちを回ったりはしなかったんですよね……」という気のない返事で、やりとりは終わってしまいました。
あなたの渾身の質問が、残念ながら空振りに終わってしまったのは、なぜなのでしょうか?
「相手と自分は同じ考え」だと決めつけていませんか?
中国通のはずのSさんは、なぜあなたが振った中国トークに乗ってきてくれなかったのでしょうか?
察しのいい人なら想像がつくかもしれませんが、Sさんの反応が悪かったのは、Sさんが「中国をとくに好きではなかった」からです。
むしろ「嫌いだ」「苦手だ」という感情のほうが強かったのかもしれません。
にもかかわらず、あなたは「中国って本当に面白いですよね」と、「Aさんも中国が好きに違いない」という(間違った)前提で質問をしました。
そのことにAさんは強い違和感を覚えて、怪訝そうな顔をしたのです。
この例を読んで、「さすがに自分は、そんなに思い込みの強い質問はしないぞ」と思った人も多いでしょう。
ですが、人とは往々にして「同じ経験をした」ことのある相手が「自分と同じ結論に至っている」と思い込んでしまうものなんです。
「主観ウイルス」の感染にご用心!!
中国を旅して五千年の歴史に触れ、大感動したという「物語」が自分の中にあれば、中国に行ったことがある他の人々も、同じような物語を持っていると決めつけてしまうのも無理はないでしょう。
しかし実際には、「中国に行った」という経験から得ることのできる視点は、無数にあります。
相手がどんな視点を持っているかわからないのに、好きとか嫌いとか、特定の結論を前提に質問をすることは危険なことと言えます。
仮に、同じ「中国が好き」という結論に至ったとしても、相手と自分が同じ理由で好きになったとは限りませんよね。
お互いの共通点を見つけたとたん、その話題に飛びついてしまう人は多いのですが、「特定の視点(=主観)を前提とした質問」は避けたほうが無難なのです。
そもそも「主観」が入ると、質問は質問として成立しなくなるということをお忘れなく。
職場の女性について「彼女、美人だよね?」と同僚に同意を求めてみても、自分と相手の「美の基準」が違えば、相手としては「そうかなぁ……」という表情を無言で返すしかありませんよね。
相手の価値観と自分の価値観をすりあわせて、新たな価値観を得ることが質問の醍醐味だというのに、こうした「決めつけ」の質問からはなんの発見も生まれません。
これは非常にむなしいことではないでしょうか?
自分の質問が「主観ウイルス」にいつのまにか感染していないか、常にチェックを忘れないようにしたいものです。
「共感モード」でお互いの理解が深まる!
万一、「主観ウイルス」に感染した質問をしてしまったときは、「すかさず路線変更」が鉄則です。
そうは言っても、あなたが先に「中国大好き!」と言ってしまったので、Sさんからはなかなか「私は中国が嫌いだ!」とは言い出せない状況でしょう。
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