認知症は治るのか?

認知症認知症の治療は薬によるものが中心ですが、残念ながら、今のところ有効なものはないとされています。今回は、老いる当事者と、介護の日々を送る家族、認知症介護の現実という3つの視点から認知症について紐解いてゆきます。前半では、レクター博士の〝人間の脳のパン粉ソテー、レモン風味トリュフのソースで〟は調理可能なの?など脳の不思議にも注目。今年も久坂部センセイの『カラダはすごい!』をお願いいたします!

脳腫瘍は茶碗蒸しのぎんなん?

脳の病気には「脳腫瘍」もあります。

脳腫瘍には、「神経膠腫」「神経鞘腫」「髄膜腫」「頭蓋咽頭腫」など、由来する細胞によってさまざまな種類があります。肺がんや乳がんなどが転移した「転移性脳腫瘍」もあります。

良性から悪性までさまざまですが、良性の腫瘍でも、大きいと脳を圧迫して麻痺を引き起こしたり、場合によっては、「脳ヘルニア」といって、脳の一部が「大後頭孔」から脊髄のほうへはみ出したりする(死に直結する危険な状態)ので、手術で取り除かなければなりません。

私は麻酔科にいたとき脳腫瘍の麻酔もかけましたが、ある荒っぽい脳外科医に驚かされたことがあります。肺がんが脳に転移し、複数の腫瘍があった患者の手術です。ふつうの脳外科医なら、正常な部分をよけて、腫瘍だけを取り出そうとします。しかし、それでは時間もかかるし、出血量も多くなります。その脳外科医は、なんと腫瘍の含まれる前頭葉の半分ほどを、ごそっとまとめて切除したのです。これだと時間も短く、出血量も少なくてすみますが、正常な部分もかなり取ってしまうので、あとが心配です。私は麻酔が覚めるかどうか、気が気ではありませんでしたが、無事に意識がもどってほっとしました。ですが、切除された部分に入っていた記憶や能力は、すべて失われたことでしょう。

手術のあと、その脳外科医が切除標本から腫瘍をより分けているのを見ましたが、それは茶碗蒸しの中からぎんなんを取り出しているようでした。脳は固めの豆腐かフグの白子のようなので、指で押さえれば簡単につぶれるのです。

トマス・ハリスの小説『ハンニバル』には、「カニバル・ハンニバル(人食いハンニバル)」とよばれる美食家の天才医師レクター博士が登場します。

レクター博士は、憎まれ役の司法省監察次官補をつかまえ、生きたまま頭蓋骨を切り取り、露出した脳をスプーンのような器具ですくい取って食べます。ヒロインのクラリスを前に、タキシード姿(映画ではウインドブレーカー姿)の次官補を椅子にくくりつけ、意識がある状態で〝人間の脳のパン粉ソテー、レモン風味トリュフのソースで〟にしてしまうのです。

脳の表面には知覚神経がないので、すくい取られても痛くありません。ですから、小説にある通り、頭蓋骨を切断するときだけ局部麻酔をかけておけば、あとは問題なくできるでしょう。

脳外科手術のコペルニクス的転回

脳腫瘍の手術は、まず「開頭」という作業からはじまります。手術前にスキンヘッドにした患者の頭にメスを入れ、頭皮を剥ぎます。続いて、露出した頭蓋骨を電動ノコギリで切り、直径5~10㎝ほどの穴を開けます。

開頭が終わると、クリの渋皮みたいな硬膜を切り、クモ膜、軟膜も切開して、脳を露出させます。生きている脳はうっすらとしたピンク色で、賢愚の別を問わず美しいです。

腫瘍が脳の表面にあればいいですが、たいていは脳の内部にあるので、そこまで到達するのがたいへんです。前述のような荒っぽい医師は少数派で、たいていは正常な部分を傷つけないように慎重に剥離を進めていきます。手術用の顕微鏡を使うことも多く、その進行の遅さは、国会の牛歩戦術そこのけです。私が麻酔科の研修医だったころ、20時間という超長時間手術もありました。

腫瘍が取れると、あとは出血のないことを確かめて、三層の膜と頭蓋骨をもどし、ワイヤーで固定して終わりです。胃や腸の手術と異なり、取ったあとをつなぐ必要がないので、その点は楽です。

脳のいちばん奥底にぶら下がっている下垂体の腫瘍は、この手順からもわかる通り、到達が至難の業です。どこからアプローチしても、いちばん到達しにくい場所にあるのですから。

下垂体はさまざまなホルモンを分泌しますが、ここに腫瘍ができると、成長ホルモンが過剰分泌されて、いわゆる「末端肥大症」(手足や顎が大きくなるホルモン異常)になります。

この下垂体腫瘍の手術に、カナダの脳外科医、ジュールス・ハーディが、あっと驚く術式を開発しました。上から到達しにくいのなら、下から行けばよいというコペルニクス的転回で、特殊な器具を使って、鼻から腫瘍を掻き出すやり方です。

まず、上唇の内側を切開し、上顎の前面を剥離して、鼻腔内に入り、鼻の奥の「鋤骨」の一部を削り、「蝶形骨」に穴を開け、下垂体の入っている「トルコ鞍」を除去すると、腫瘍が掻き出せるというわけです。こう書くとけっこうたいへんそうですが、少なくとも脳のほかの部分を傷つけることはありません。これは「ハーディ手術」とよばれ、この術式のおかげで、下垂体腫瘍の手術が迅速かつ安全に行えるようになりました。

認知症は治るのか

認知症はもともと「老人ボケ」と通称されていたのが、「老人性痴呆」と診断名っぽくなり、さらに「認知症」と変化したものです。呼び名を変えても、現実は変わりません。

認知症は大きく分けて、「血管性」のものと、「変性性」のものに分類されます。

血管性のものは、要するに血の巡りが悪くなるタイプで、脳梗塞や脳出血に伴って発症します。変性性のものは、脳そのものが変性してしまうもので、アルツハイマー型、レビー小体型、前頭側頭型(ピック病)などがあります。もちろん、両者の混合型も少なくありません。

認知症の治療は、薬によるものが中心ですが、残念ながら、今のところ有効なものはありません。アルツハイマー型認知症の薬として有名なドネペジル塩酸塩(商品名アリセプト)は、ひじょうに多くの患者に処方されていますが、これは認知症を治す薬ではありません。

効能は「認知症症状の進行抑制」です。つまり、悪くなるのを抑える薬です。しかし、たいていの患者さんは、症状をよくする薬だと思ってのんでいます。なのに、よくならない。だから効いていないと苦情を言うと、医師はこう答えます。

「いいえ。効いています。この薬をのまなかったら、もっと悪くなっていたでしょうから」

そう言われると反論できません。仮にまったく効いていなくても、この説明は通用します。つまりはオールマイティの説明で、言い換えれば、詐欺に近いということです。

私自身、認知症の患者さん約三百人にこの薬を処方し、進行が遅くなったなと感じたのは一人だけでした。別に二人がこの薬のために、認知症が悪化しました(副作用に、興奮、不穏、幻覚、錯乱などがあります)。残りはまったく効果が実感できませんでした。

それでも、患者の家族は処方を希望します。進行を抑える薬なのに、進行しきっている患者の家族も、処方を求めます。藁にもすがる気持なのでしょう。私は希望に従い、処方しましたが、空しいものを感じていました。

認知症は悲しいですが、それを拒絶していては良好な介護はできません。受け入れ、患者を個人として尊重することが、徘徊などの周辺症状を減らすのに役立つように思います。

脳腫瘍は茶碗蒸しのぎんなんにそっくり? カラダのトリビアを徹底解剖!

この連載について

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カラダはすごい! モーツァルトとレクター博士の医学講座

久坂部 羊

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niina_noriko 荒っぽい脳外科医に担当されたくないなあ 6日前 replyretweetfavorite