4 神田達也
俺が今までにもらった数百、いや、数千を超えるであろう名刺の中からピックアップした何枚かの名刺があいつの手元にあった。そして、その名刺を俺にくれたという人物が五人、俺の前に立っていた。
名刺。俺が全然番組を当てることができなかった時とヒットしたあと、名刺をもらう数は三倍以上に増えた。そんなもんだよね。力を得た者に人は寄ってくる。名刺の数がそれを一番物語る。
名刺をもらった人とまた会うことは当然あるよ。でも、向こうは覚えていてもこっちが覚えていない時もある。名刺を渡す人と渡される人、そのパワーバランスは決してイコールじゃないでしょ? 名刺を渡す瞬間って、どちらかが名前を覚えてほしい人になるわけでしょ。
番組がヒットする前は俺も覚えてほしい人側だったけど、当たってからは変わった。変われたって言った方が本当はいいと思うけどね。
覚えられる側に変われた俺の前には、三人の男と二人の女が真っ白な揃いのパジャマを着て立っていた。その五人に俺がもらった名刺を返す。それだけ。名刺をくれた人にその人の名刺を返すだけ。だけど、一度でも失敗すればあいつがリモコンを押して、和也の頭が首から吹き飛んでいく。それが俺が挑戦しなければならない、クイズThe Name。
悔しいと思うこと自体が悔しいけど、この企画には「クイズ」×「息子の命」×「もらったけど覚えてない名刺」。三つの掛け算、入ってたんだよ。あいつは当然のことを尋ねるように聞いてきたんだ。
——五人とも覚えてますよね?
——当たり前です。
そう言うしかないでしょ。多い時は一日に二十枚以上もらう名刺。自分が覚えてほしい側になる人の名刺以外は、まとめてデスク秘書に渡して整理してもらってるなんて言えるわけがない。言える空気じゃない。
——皆さん、あなたに頭を下げて名刺を渡した人ばかりです。
——分かってます。
——毎日色んな人があなたに頼みごとに来てるから忘れちゃいましたか?
——そんなことないです。
——あなた、偉いから忘れちゃっても仕方ない! でも皆さんは覚えてますよ!
五人の中には、一週間のスケジュールのどこかで顔を合わせているらしき奴もいたよ。全員が睨むわけでもなく笑うわけでもなく、ただガラスのビー玉のように、個性を消した目で俺を見つめている。無個性の十個の視線から目をそらしたくなる。
——脳って神経細胞が一〇〇億個とか一〇〇〇億個あると言われてるんです。
——だからなんなんですか。
——その一個一個に情報が入っている。皆さんの名前も入ってるはずです。
俺の海馬が整理しちゃったのか? いらないものとして整理しちゃったのか、五人の名前。それとも一〇〇〇億個ある神経細胞の中に記録され、俺の記憶倉庫の奥にしまわれているだけなのか? とにかく、俺がやらなきゃいけないことは、記憶倉庫にしまわれている目の前の人たちの情報を探り出して、名刺を返すこと。
——脳を働かせるコツ、知ってます? ブドウ糖を吸収した方がいいと言いますけど。
あいつの言いたいことは分かった。過去に番組で調べたことがあったんだ。脳を一番働かせる方法——それは危機的状況。
とある水族館にイワシの水槽がある。竜巻状態になって餌を食べるイワシのトルネードが売りの水槽。だけど、しばらくするとイワシが群れから離れるようになっちゃって、名物のトルネードができなくなった。理由は単純。イワシの油断。穏やかな環境に慣れると、トルネードをやらなくなるんだって。
そこで、イワシにもう一度トルネードをやらせるために水族館がやったこと。それは、天敵であるマグロを水槽に入れること。水槽に天敵のマグロが入ってきて、イワシは必死に泳ぎ続けなければならなくなった。そして再びトルネードをするようになった。結局、危機感なんだよね。生き物は危機感を感じないと本気になれない。
今、俺の人生にマグロが入り込んできた、勝手に。あいつのせいで、俺の中の危機感は限界まで達せざるを得ない状況になったんだ。
——危機感があなたの脳をどこまで本気にさせるか楽しみですね。
あいつは、和也の命を握るリモコンを右手に軽々しく持ちながら、壁に手錠で磔にされている和也に近づいた。和也も後ろが壁だと分かっているのに、体を震わせながら壁の中にのめり込みそうなぐらい後ずさった。