どうにも透きとおれない日々

エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これは「ぼく」が、ものや人を通じて、「生」を組み立てていくものがたり、 のようなエッセイ、のようなもの。
透明人間になりたいと願いながら、「ぼく」は骨董品屋でのバイトを続けます。


 自分がきらいと言ったって、しぬのがこわいうちは、とりあえず生きていかないわけにはいかない。

 ぼくは毎日9時きっかりにセットしたアラームで目を覚まして、「まだ透明じゃない」とがっかりしながら起きあがり、シャワーを浴びる。

 シャワーを浴びているあいだも、「まだ身体がある」とがっかりし、支度を終えて駅へと歩いている最中にもがっかりしつづける。「頭がある」「目玉がある」「こころもちょっとある」

 駅に着くと、そこから一時間ほど地下鉄に乗ってバイト先に向かう。がらんとしたラッシュアワーすぎの電車に揺られながら、延々とつづく煤煙のようなグレーの地下道をながめていると、世界で自分ひとりだけが間違ったレールのうえにいて、どんどんわるい方向へ運ばれているみたいな気持ちになってくる。それを裏付けるかのごとく、週刊誌の中吊りが暗い。

 そんなことないよ、なんてまさかだれも言ってはくれない。みんなもう、ただしい時間に、ただしい場所へ行ってしまったあとだから。


 地下道を抜け、どろどろと流れる不気味な川を越えると、すぐにバイト先のある街にたどり着く。ちいさなデパートと、それ以外には薬局とマクドナルドくらいしかない、さびれた街だ。海が近いせいか、たまに風にべたつきを感じるけれど、それがなんだというのだろう。

 目覚ましにマクドナルドのコーヒーを買い、殺風景な大通りを15分ほど歩いていくと、おおきな私営団地があらわれる。団地の中央にはちょっとした広場があって、子供たちは遊びまわり、老人は将棋を打ち、猫はしあわせそうに寝転んでいる。まるで楽園みたいな光景だ。けれど、こういう場所で抱きがちな、なにかにつまはじきにされたような感情が芽生えないのは、やっぱりこの街がひどくさびれていて、なにもかもが淡く霞んでいるせいだろうか。

 広場に面した棟の一階は、住人のためにつくられたちいさな商店街になっている。薄暗い廊下にてんてんとお店がならんでいて、時折広場であそんでいる子供たちの声が、建物にこびりついたふるい記憶のようにひびいてくる。ほとんどシャッター街になりかけているけれど、いくつのお店はしぶとく営業していて、夕どきには団地の老人たちの憩いの場になる。

 バイト先の骨董品屋は、かつてクリーニング屋だったテナントと、果物屋だったテナントをぶちぬいて作られていて、店舗は基本的にはない。インターネットの通販か、あるいはもっと特殊なネットワークをつかってコレクターがやってきて、しずかに目当ての物を買って去っていく。

 とにかくものが多い。ほんとにあらゆるものがある。日本画に、教科書で見に載っているような美術品、現代美術、古書、巻物、ブリキのおもちゃに、ポケモンカード。

 それらがうず高く積み上げられた空間のちょうど真ん中に、いくつか机がならんでいて、そこが事務所として使われている。ぼくたちアルバイトは、この事務所で一日じゅうインターネットでの注文を確認したり、商品を梱包をしたりするのだ。簡単そうだけれど、取り扱いのむずかしいものがあったり、外国からも注文があったりして、結構めんどくさい。たまにオーナーに連れられて、遠くまで買い付けの手伝いに駆り出されたりもするけれど、基本的には日が暮れるまでここで黙々と働く。

「おはようございます」

 たてつけの悪いドアを開けて事務所に入っていくと、みんなが「おはよう」と返してくれる。その声を聞くとき、ぼくはいつもすこし泣きたくなる。まちがったレールの先に、果たしてこんなにやさしい声が、場所があるだろうか。

 荷物をロッカーに置くと、新人のぼくはまずトイレの掃除からはじめる。といっても、たったひとつしかないトイレは、雑多な事務所のなかで唯一といっていいほどの清潔さをつねに保っていて、あまり掃除する必要がない。たぶん、汚したらすぐに犯人がわかってしまうので、みんな異様に注意深く使っているのだと思う。ぼくもそうだ。

 あっという間にトイレの掃除がおわると、こんどは床のモップがけをしなくてはいけない。よくわからないけれど、ここではモップを絞る作業がすごく人気だ。

「ゆうくん、今日は私にやらせて」

 その日は木野さんがやってきて、ぼくの代わりにモップをしぼった。絞り機のなかで、くらげみたいにふくらんだモップが、ぐるぐる回りながらあっという間にちぢこまっていく。

「あはは!」

 小柄な木野さんはちびのミイみたいな顔で笑いながら、なんどもモップを濡らしては絞った。見ていると、あまりにたのしそうで、ぼくもやってみたいなあと思いはじめる。

 しかし彼女は、まるで見透かしたようなタイミングでピシャリと言う。

「はい、ちゃちゃっと拭いちゃって」

 こうやってぼくは、いつも踏むやつをやらせてもらえない。

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ぼくは本当にいるのさ

少年アヤ

痛みと共に捨て去った、ひかりをぼくは取り戻す―― エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これ...もっと読む

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コメント

ayapi_and_beast ◯「ぼくは本当にいるのさ」、第二回更新されました。骨董品屋で働く、のこと。 https://t.co/23yIpOpVdO 3年弱前 replyretweetfavorite

honya_arai 《まちがったレールの先に、果たしてこんなにやさしい声が、場所があるだろうか》 3年弱前 replyretweetfavorite