子供の頃、クラスに少し変わった奴がいた。
そいつは入学したての小学校の教室で、始まったばかりの算数の授業中、「1たす1は2です」と高らかに宣言する女性教師に向かってこう言った。
「なぜ1たす1は”いっぱい”じゃいけないの?」
皆、驚いて彼を見た。彼は続けた。
「例えば、絵本の中のくまさんが鮭1匹とマス1匹を食べたなら、物語の最後では必ず”まんぷく”になってる。あるいは、くまさん1匹ともう1匹のくまさんが出会ったら、蜂の巣は”からっぽ”になるはずだ。だから、1たす1の答えは”いっぱい”でいいはずなんだ。それなのに、一つの答えしか正解じゃなくって、他の答えは間違いだなんて、そんなの絶対おかしいよ」
先生は最初彼が冗談を言っていると思ったのか、半端な苦笑いを浮かべていたが、次に本気であることを知り、岩のような顔を蒼白にして彼に「座りなさい」と言った。まるで、教室の秩序を保つことが彼女の最大の使命であり、それに失敗した暁には、彼女の首輪の鎖の先を握る誰かがそれをきつく引っ張りあげるのだとでも言うように。
彼はそう言われてなお立ち続けた。今、この場に醸成されたムードも、なぜ自分の問いが否定されるのかも、何一つわからない、といった表情で、まっすぐに前を見つめて。
慣れない環境でおずおずと周囲を伺っていた子供たちは、先生の反応を見て取り次第、格好の団結の材料を得たとでもいうようにその柔らかな体を揺らして彼を口々に罵り始めた。
僕はというと、彼に拍手喝采を送りたい気持ちでいっぱいだった。なるほど!その手があったか!と。僕は直ちに、彼に加勢し、1たす1はいっぱいで、なぜいけないのか、間違っているのは先生の方だ、この世の真理に触れているものを、わざと意地の悪い冷たい手で引き剥がそうとするのはやめろと、あらん限りの大声で叫びたかった。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。