メゾン刻の湯

役に立たない2割の怠けアリにも居場所はある

「てんでダメで、ぶらぶらしているような、2割の怠けアリこそ、こういう場所には必要なんだ」銭湯を取り仕切る青年・アキラからそう言われたマヒコは、初対面で貶されたことを憤る一方、必要とされる喜びも同時に感じていた――。社会からハミ出たくせものたちの集まる銭湯シェアハウスが舞台の傑作青春小説、第4話です!

 青年はにやりと笑って言った。

「君だろう。そこそこの大学を卒業したにもかかわらず、就職できなかったっていうトーヘンボクは」

 あまりに突然のことに、僕は自分がけなされていると気づくのに数秒を要した。彼は続けた。

「いいね、君、実にいいよ。僕、君みたいなの大好きさ。あ、君みたいなっていうのはさ、わかるよね?てんでダメで、フラフラしていて、将来のこと、何一つ自分で決めらんない、甘ったれのデクノボーってことだよ。そういうダメなやつが一人くらいいた方が、こういう場所ってのは、回るんだ。うん、いいね、実にいい」

 顔がふつふつと火照り出すのを感じた。いきなり何を言い出すんだこいつは。というか、なぜ蝶子はその事をこいつにバラしてる?

 戸惑いながら口を開こうとした僕を、蝶子が遮った。

「で、ここが今日からあんたの住む場所」

 僕は仰天した。住むって?どこに?

 まだ状況の飲み込めていない僕に構わず、男は相変わらずニヤニヤしながら

「安心してよ。住居部分はあっちにあるんだ。蝶子さん、案内してくれるかな」と言った。蝶子はそれを聞くと勢いよく立ち上がり、行こ、と言って僕の手を取る。僕は思わず身を引いた。

「おい、ちょっと待てよ。どういうことだよ」

「言ってなかったっけ。アキラさん、今、新しい住人を募集しているんだって。あんたにぴったりでしょう」

「なんで勝手に決めてんだよ。僕、何にも聞いてないぞ」

 アキラは頬杖をつくと、面白がるように僕を見上げた。鳶色の瞳にランプの光が反射し、虹彩の淡さが一層強調される。

「君さあ、ふてくされてんだろう」

 はあ、と僕は思わず聞き返した。

「社会に受け入れらんなくて、ふてくされてんだろう、受け入れてくれなかった社会に、ムカつきつつ、馬鹿にしてんだろう。うん、いいね、実にいいよ。場所の質っていうのはさ、そこに長くいる人間の質で決まるだろ、君なんかまあ、合格だね。僕はさ、8割の働きアリには興味ないの。何にもやることなんかなくって、てんでダメで、ぶらぶらしているような、2割の怠けアリこそ、こういう場所には必要なんだ」

 怒りのあまり、僕は卒倒しそうになった。別に僕だって、何もせずに指を加えていたわけじゃない。就職活動なんかくだらねぇやって、最初から放り出してたわけでもない。僕だって、皆と同じように一通りは試してみたのだ。ベルトコンベアに乗せられたウサギになった気分で、同級生たちの勧めにしたがってスーツを買い、あくせく書類の提出をしたり、説明会に参加したりなんかして。ただ……なんていうかなあ。いざ、スーツを着、カバンの中にたっぷり資料を用意して、面接会場である巨大ビルに飛び込もうとすると、なぜだか急に……本当になぜだかわからないけど、僕の足は地面に吸い付いて、ぴったりと動かなくなってしまうんだ。まるで見えない交通整備人がぼくの目の前に立ちはだかり、ここから先は入っちゃいけないとでも言っているみたいに。だから僕は、結局面接の時間になっても会社のビルの周囲をぐるぐると歩いたあげく、回れ右をして、また同じ地下鉄の駅までトボトボと帰ってきてしまうのだった。級友たちには「天気が良かったから、ついつい日比谷公園で昼寝しちゃったんだ」なんて言い訳をしてはいたが、内心では冷や汗をかいていた。

 わかっている。ベルトコンベアに一度乗ったのなら、目をつぶって、えいやっと最後まで乗り切ってしまえばよいだけなのだ。しかし僕にとっての最大の悩みは、なぜ、自分がそうなってしまうのか、まるきりわからないということなのだ。それをよりによって、怠けアリ、とは。

 せり上がってきた苛立ちが、こらえきれずに口から溢れ出た。

「お言葉ですが」冷静さを保とうと試みるが、怒りで声が震える。「僕は別に、好きでぶらぶらしているわけじゃないし、ふてくされてもいない。ただ、考える時間が必要なだけです。ここに住んだとして、すぐに新しい仕事を見つけて出て行くかもしれないし、僕ができることなんて何一つありません。怠け者が欲しいなら他当たれよ」

 彼は僕の抗議を物ともせずに「そうかなあ、ぴったりだと思うけどなあ」などとうそぶいている。僕はますます腹が立った。

「別に、なんでもいいけどさぁ」彼は飄々と続ける。

「君、これから住むとこないんだろ」ぐっと喉が詰まる。図星だからだ。今住んでいるアパートの契約は、3月いっぱいで切れることになっていた。大家のばあさんが、僕みたいに昼も夜も境目なくスウェット姿で近所をうろつきまわる無職予備軍の男より、未来への期待で満ち満ちたバラ色の頬の新入生に部屋を貸したがっているのは明白だった。そりゃそうだ。くそったれ。

「だったらさ、うちで働きながら、仕事を探せばいいよ。そっちの方が、今の君にはずっと合ってると思うぜ」そう言うと彼はやにわに身を乗り出し、僕の手を取った。

「なあ、いいだろ。うちには君みたいな奴が必要なんだ。な、お願い」

 冷たく、しかし力強い手だった。僕は面食らい、身動き一つできずにいた。頭の中は、相変わらず、馬鹿にされたことへの苛立ちでカッカと火照ってはいたが、その実、腹の底では、こいつに誘われたことへの嬉しさが奇妙に渦を巻き、僕の体に再び血を戻そうとしていた。僕はその矛盾に耐えきれなくなりそうな自分を隠そうと、身をよじり、精一杯の仏頂面を作ったまま、その場に立ち続けるしかなかった。

 戸惑う僕の肩を、蝶子が引っ張った。

「行こうよ、裏の方、案内したげる」

(5話に続く)

”正しく”なくても”ふつう”じゃなくても懸命に僕らは生きていく。銭湯を舞台に描く、希望の青春群像劇

メゾン刻の湯

小野 美由紀
ポプラ社
2018-02-09

この連載について

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メゾン刻の湯

小野美由紀

”正しく”なくても”ふつう”じゃなくても懸命に僕らは生きていく。「傷口から人生」の小野美由紀が銭湯を舞台に描く、希望の青春群像劇! どうしても就活をする気になれず、内定のないまま卒業式を迎えたマヒコ。住む家も危うくなりかけたと...もっと読む

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コメント

sharuka0 あっこれは……おもしろいね!? 3日前 replyretweetfavorite

marekingu #スマートニュース 4日前 replyretweetfavorite

usagiwaka 舞台観ているような文体だな。 4日前 replyretweetfavorite