メゾン刻の湯

偉い人の話は聞かなくていい

「卒業」がおめでたいのは、次の行き先が決まっている人間、だけなんじゃないのかなぁ――
進路が未定のまま卒業式を迎え、先が見えない将来への不安と、内定が決まっている同級生への劣等感に苛まれながら大学を後にするマヒコ。そこに幼馴染の蝶子からメッセージが届き――。社会からハミ出たくせものたちの集まる銭湯シェアハウスが舞台の傑作青春小説、第2話です!

 大学の卒業式の日はあいにくの曇天だった。ざまあみろ、と僕はひとりごちた。そうしたところで気分はまったく晴れないにせよ。

 卒業式の送辞で学長は4回も「希望ある未来」と言った。「ええ、皆さんはこれから希望あふれる未来へと旅立って行くわけでして、グローバル・リーダーシップを発揮し、国際社会経済を牽引して行く人材として……」全く、嫌になっちゃうよ。僕自身にとってはまるで意味のない、紙っぺらみたいな言葉が頭上をひらひらと飛んでゆく。あたりを見渡せば、講堂中に詰め込まれた卒業生たちは皆一様に下を向き、居眠りをするか、手の中に隠し持ったスマホの中でのおしゃべりに夢中で、誰も学長の話なんか聞いちゃいない。当たり前だ。”偉い人の話は聞かなくてもいい”ってのが、栄誉ある我が校の学生たちが4年かけて学ぶべき、もっとも大切なことなのだから。

 心底うんざりした気持ちで、僕は大量のスーツの群れとともに講堂の外へとなだれ出た。講堂前の広場は、学長の長話から解放されたばかりの学生たちの、晴れ晴れしい笑顔の群れに埋め尽くされていた。僕はそれをかき分けて駅へと続く道に向かわなきゃならなかった。

 目の前を行く卒業生たちはこんなに肌寒い天気を物ともせずに頬を紅潮させ、わぁわぁと嬉しそうだ。そのうち雨が降り始めたが、みなさして気にしてもいない。「TIME/タイム」という映画がある。特殊なスカウターを通すと、人生の残り時間が数字となって浮かんで見えるという設定なのだが、今日限りは僕の目にも特殊なスカウターがあるみたいだ。内定アリ。内定アリ。人気企業に内定アリ。アリ。アリ。みーんな、内定アリばっかり。曇天にとけ込むような地味な色のスーツ、似たような髪型の茶髪の群れは、後ろから見れば誰が誰だかも区別はつかないのに、ワックスでピンと固めた髪の立ち具合や、横顔の肌つやから、そいつの将来のランキングまでもが如実に分かるような気がした。

 僕の頭の上には、たぶん、何の文字も浮かんでない。

 駅前のスクランブル交差点も、その向こうの広場も、灰色のくたびれたスーツの群れを女子学生たちの袴の華やかな柄が圧倒していた。信号を待つ間、ひやりとした感触を足首に感じて下を見たら、隣の人の鞄からしたたった雨水が履きつぶしたローファーのヘリから入り込み、靴下を濡らしていた。

「卒業」がおめでたいのは、次の行き先が決まっている人間、だけなんじゃないのかなぁ。

 サラリーマン、女子高生、冗談を言い合う若者たち。皆、傘をさし、隣り合う他人と距離をとりながら信号が青になるのを待っている。ホームレスが人ごみの中心を、IKEAの袋を引きずりながらノロノロと歩いて行く。皆、それを迷惑そうに、しかしまるで存在していないみたいに巧みに無視している。そのうち信号が変わり、皆が一斉に動き始めたが、僕はその場から一歩も動き出せずにいた。後ろから歩いてきたサラリーマンが、どん、と僕の肩にぶつかって、ち、と舌打ちをし、2秒後にはまるで何もなかったかのような顔で群衆の中に消えていった。

 途方もなく惨めな気持ちで、僕は近くにあった銀色のダスト・ボックスに受け取ったばかりの卒業証書を放り込んだ。この紙が俺の未来にとって何の意味を持つのか、現時点では全くもって分からなかった。この、無数の人々が行き交う巨大な駅前の交差点において、たった一人、僕だけが行き先を持たない気がして、僕は目の前の白線を超えることすらできず、冷たい雨に打たれたまま、そこに立ちすくんでいた。

 幼馴染の蝶子から一通のメッセージが届いたのはその時だった。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes・note会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

”正しく”なくても”ふつう”じゃなくても懸命に僕らは生きていく。銭湯を舞台に描く、希望の青春群像劇

メゾン刻の湯

小野 美由紀
ポプラ社
2018-02-09

この連載について

初回を読む
メゾン刻の湯

小野美由紀

”正しく”なくても”ふつう”じゃなくても懸命に僕らは生きていく。「傷口から人生」の小野美由紀が銭湯を舞台に描く、希望の青春群像劇! どうしても就活をする気になれず、内定のないまま卒業式を迎えたマヒコ。住む家も危うくなりかけたと...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Miyki_Ono 第2話が更新されました! 4ヶ月前 replyretweetfavorite