編集者であるがゆえのインタビュー術——島森路子(2013年4月23日没、66歳)
かつて『広告批評』という雑誌があった。その創刊は1979年。時期的には、アートディレクターの石岡瑛子がパルコの広告などで表現を究める一方で、コピーライターの糸井重里やCMディレクターの川崎徹ら新進気鋭のクリエイターが台頭し、「広告ブーム」が巻き起こる前夜のことだ。『広告批評』はそうした人々と伴走しながら広告表現の最前線を毎号伝えるとともに、広告以外のジャンルからも多くの人が登場した。
島森路子は『広告批評』の創刊に副編集長として携わって以来、1987年に初代編集長の天野祐吉からその座を引き継いでからも、同誌に掲載されるインタビューの大半を手がけ、名インタビュアーとして定評があった。2010年には、前年の同誌休刊まで約200本におよんだというそのインタビュー記事のなかから選りすぐりのものを収めた『島森路子インタビュー集』全2冊が刊行されている。
名インタビュアーといえば、最近だと『週刊文春』の対談ページで長らく聞き手を務め、著書『聞く力』がベストセラーとなった阿川佐和子や、あるいはプロインタビュアーを自称し、『人間コク宝』をはじめインタビューをまとめた著作も多い吉田豪などが思い浮かぶ。いずれも相手の懐に飛びこんで、話を引き出すタイプのインタビュアーだ。
ただし、インタビュアーとしての島森路子は、阿川たちとはちょっと性格を異にするように思われる。というのも、阿川や吉田がインタビュー中もけっして自分を隠そうとしない、いわば「キャラの立った」インタビュアーなのに対して、島森はインタビューのなかではできるだけ自分の存在を消そうとしていたからだ。そのことは、前出の『島森路子インタビュー集』に収録されているうち、作家の橋本治や音楽評論家の吉田秀和、歌手・俳優の美輪明宏らへのインタビューに端的に表れている。何しろそこでは、島森の発言は一切省かれ、あたかもインタビューイが独り語りをしているかのごとく構成されているからだ。こういうスタイルの記事は通常「聞き書き」と呼ばれ、インタビューとはあまりいわない。だが、島森にとってインタビューの究極の形は、まさに聞き書きにこそあったのではないか。
島森が生まれて初めてインタビューを行なったのは、立教大学の卒業論文を「現代ジャーナリスト論」というテーマで書いたときだった。その執筆にあたり、彼女は、当時新聞や雑誌、テレビなどマスメディアの第一線で活躍していた人たち……たとえば、毎日新聞社の岡本博、平凡出版(現・マガジンハウス)の編集者の木滑良久、ニュースキャスターの田英夫などに話を聞いてまわったのだ。
本人に言わせれば、インタビューにしたのは根っからの怠け者ゆえ、内外の文献や先輩ジャーナリストの体験記を読むといった作業を初めから放棄し、《「現代の」ジャーナリスト論なのだからと、自分に都合のいいリクツを考え》たうえでのことであり(『夜中の赤鉛筆』)、それも結局、インタビューをそのまま使うのではなく、適当に話をかいつまんで、いかにも「卒業論文風」にまとめたのだという。だが、この体験がのちの彼女の仕事の原点になったことはたしかのようだ。
大学卒業後は、講談社を経て、1971年には天野祐吉の主宰する広告制作会社のマドラ・コミュニケーションズ(のちのマドラ出版)に入社する。天野のなかにはその頃より雑誌をつくりたいという思いがあり、すでに『広告批評』というタイトルも登録していたという。その思いは数年後に実現する。
『広告批評』の誌面では創刊以来、書き言葉による寄稿よりも、インタビューや対談といった話し言葉の比重が大きかった(一つひとつの記事もかなり長かった)。その理由を、天野は「そのほうがイキがいいし、原稿料が安上がりになるから」と説明している。
そんな同誌の編集部内にあって、島森は話し言葉の扱いに関し才能を発揮し、その仕事ぶりを見て天野が迷わずインタビュアーの“廃業”を決めたほどであった(『朝日新聞』2013年5月1日付)。ただし当の彼女は、インタビューは苦手だと言ってはばからなかった。たとえばジャーナリストの筑紫哲也との対談では、インタビューのコツを聞かれ、次のように答えている。
《編集の仕事の一部というつもりでしかやってこなかったし、インタビュアーといわれると他人ごとみたいで(笑い)。ただ、私はインタビュー下手だっていう自信だけはずっと持ってて(笑い)、だから、その分ちょっと頑張れるのかもしれないですね。このごろ、聞き手のほうが目立っちゃうようなインタビューがわりあい多いんですけど、私自身はその人がゆっくり自分を出せるように持っていくことしか考えてないですね》(『元気印の女たち』)
なぜ島森が、インタビューのなかではできるだけ自分の存在を消そうとしたのか、上記の発言にはその答えが明確に示されている。とりわけ「インタビューはあくまで編集の仕事の一部」ととらえていたことは重要だろう。『広告批評』の常連執筆者だった橋本治も、彼女のインタビュー集に寄せた文章のなかで、《名インタビュアーである前に名編集者で、彼女は明確に「編集者としてインタビューをする」という姿勢を崩してはいない》と書いている(「受容する知性——島森路子さんのこと」)。
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