料理が楽になったと大評判!
『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』
雑煮という贅沢
みなさまあけましておめでとうございます。良いお正月をお過ごしになられましたでしょうか? みなさまにとって今年が素晴らしい一年でありますよう、心よりお祈りしております。
さてお正月の食べ物といえば、おせち料理と、お雑煮ですよね!
実は何を隠そう、私、おせち料理ほど好きな料理はないかもしれません。
それはきっと、食い意地の張っていた子供の頃の記憶が影響してるんだと思うんです。
っていうのもさ、昭和の子供は単純に砂糖に飢えていたのだよ! だから「黒豆」とか「くりきんとん」とか、お菓子みたいに甘いものが「ご飯」として堂々と食べられることが、無条件にめちゃくちゃ嬉しかったのです。
しかしそれも今は昔。
イマドキ子供はそんなものどっちも食べないヨと子のいる我が姉に言われ、いやーそーなのかと思ってちょっとシミジミしたのでした。
確かにこれだけ多種多様なスイーツが溢れかえっている時代に、甘いものに無条件で贅沢さを感じるなんて、あり得るはずもないですよね……。でもそう考えると、あれをワーワーと心から喜んで食べることができたなんて、ある意味ものすごく贅沢な時代だったのかもしれません。
それはさておき。
時代の変化もなんのその。「おせち好き」の私の魂は延々と失われることがなかったため、年に一度の娘の帰省を楽しみにしていた母は、毎年、何日もかけておせちを一生懸命手作りするようになったのでした。
黒豆。昆布巻き。田つくり。なます。昆布締め。数の子。筑前煮……。
いやね、これは娘の私が言うのもなんですが本当に美味しくて、私はこれを食べる日を楽しみに、山あり谷ありの会社員生活をなんとか過ごすことができたと言っても過言ではありません。いやほんと、スキップしながら帰省してたもんなー。
で、今から考えると美味しいのは当然で、母は毎年気になるレシピを試しては、「これが美味しい」と納得できるものだけを翌年に再び作る……という作業を何十年も繰り返していたのです。年に一度しか作らないものだから、まさに気の遠くなるような年月と精魂が込められた結果があのおせちだったんですよね。
で、それを喜んで食べていたのは、考えてみれば私一人。これほどの非効率がこの世にあるでしょうか。
でも母はそれを苦にするわけでもなんでもなく、私が年末帰省するたびに「今年はおせち、失敗しちゃった」と恥ずかしそうに言い、でも食べてみると失敗どころか全然美味しいのです。で、「いやいや、失敗ってどこが? すごいおいしい!」というと、母は初めてにっこりするのでありました。
今年はその母が亡くなって初めてのお正月。
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