「人間は〝頑張る〟ことに耐えられる生きものだと信じていて。
本当にしんどかったら逃げてもいいけれど、できるだけ逃げないでいることが、仕事をする上で一番いいことだと思うんです」
(岡田准一, 1980-)
毎日映画3本、学び続ける男・岡田准一
2回目は、14歳でV6としてデビューした岡田准一の努力の日々に注目します。
姜尚中、五木寛之、林真理子、鎌田實、沢木耕太郎……作家や芸術家といった多ジャンルの専門家に聞き手として対峙し、彼らにときに感心され、認められている岡田准一。
アイドルに対し、知的・文化的というイメージを持っていない人からすると、驚きかもしれません。
その岡田准一の聞き手としての能力を下支えしているのは、学びの量です。
10代の頃、考古学に心理学、フロイトにカントにまで手を広げた読書はもちろん、帰宅してから朝まで映画を3本見て感想やカット割を書くことを日課にしていたという岡田。
ノートには、歴史上の偉人の言葉や、本に出てきて心に響いたフレーズなどを書き留めていたといいます。
そしてもちろん文化面の努力だけではありません。映画『SP』の出演をきっかけに、本格的に武術を開始。今では3種類のインストラクター資格を取得しています。
鍛え上がった肉体に、大物たちにも感心されるその知性。文武両道という言葉が似合う男・岡田准一。
岡田は14歳という若さでデビューし仕事を始め、ときには別の道も考えたというものの、20年以上、仕事を続けています。
ジュニア期間がほぼない中でのデビューは、他人から見れば大チャンスではありますが、突然のデビューに、周囲との差を感じ〝足りないもの〟を埋めようとした男の学びの人生に迫ります。
小学校2年生から人生を考え、14歳で働き始める
「14歳から働いているので、『人生を観てもらっている』という感覚はあります」
14歳でV6としてデビューし、20年以上を経た35歳の岡田准一は、こう語っています。
「小2ぐらいのときからずっと、自分はどう生きるかとか、どういう男になるかっていうことを考えてきて」という彼は、自分の人生について考え始める時期、実力が見合わず悩む時期、そして陽の目を浴び始める時期……と、すべての人生の通過点が、普通の人よりも、早くやって来ている人物です。
14歳でジャニーズ事務所に入所直後にV6としてデビュー。
当時、24歳でジャニーズ最年長デビュー記録を更新した坂本昌行や長野博といった年長組や、当時のジャニーズJrで人気を2分していた森田剛や三宅健と同じグループに入り、新人がいきなりのデビューです。当時は、ついていけないことや、怒られたことも多くあったといい、そのせいか、岡田准一の人生に、早く仕事を始めたという事実は重くのしかかっています。
重く考える時期が早くやってきた
キャリア10周年、24歳のときの、岡田准一の発言を見てみましょう。
「この仕事をしだしたのも14からで、全然早いじゃないですか。普通、23、24くらいで社会人1年2年だったりしますからね。で、そこから3、4年働いて、ちょっと仕事がわかってきて、自分のできると思ったことと評価が違ったり、空回りっていうのもすごく早いうちに経験して。16、17ぐらいだとやっぱり実力がないし、余計にこう、あがいてしまって。そういうことを既に10代の頃に経験したんですよね。だから、いまはそういうことがあってよかったって思えるほどラクですしね」
24歳時点で「重く考えたりする時期がとても早かったので、乗り越えられるのが早かったかもしれないですね」と語っています。
8歳から人生を考え、6年後の14歳でチャンスがやってきて、その後10年もがいて、やっと落ち着く。大学を卒業して就職する人のイメージで置き換えれば、21歳で就職について考えだし、27歳でチャンスがやってきて、37歳くらいでやっと落ち着く……と年数はそのまま、時間軸だけずらして考えるとしっくりくる感じもします。
天才との差の自覚から、勉強を始める
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