洞窟ばか

イヤイヤ始めた洞窟ガイドの育成にハマってしまう

28歳の時、洞窟に出会い「自分がやりたかったことは、これだ!!」と洞窟病にかかってしまった吉田さん。当初は洞窟の入り口を見つけられず空振りに終わることも多かったが、探検家としても洞窟ガイドとしても経験を積み、洞窟探検をガイドする会社を立ち上げた。そして洞窟ガイドの育成を依頼されるまでになったのだが、最初は面白くなく「仕事だから」としぶしぶこなしていた……。

教えてほしけりゃ、オレから引き出せ! 異色のガイド講習

 ちゃんと数えたことはないのだが、これまで探検した洞窟の数は1000を軽く超える。
 その中で特に思い出深い場所をいくつか挙げるとすれば、まずは沖永良部島のことが頭に浮かんでくる。  
 沖永良部島にはじめて行ったのは2008年。
 それ以前から「沖永良部島にはすごい洞窟がある」という話は聞いていたのだが、2000年代は三重県の霧穴をやったり、ケイビング専門のガイド団体を立ち上げたりといろいろ忙しくて、なかなか手が回らなかった。
 ただ、行ってみたいという気持ちはずっとあったので、知り合いのM氏が行くという話を聞いたとき、「オレも連れて行ってほしい」と便乗させてもらったのだ。

 M氏は島の洞窟を知りつくしている人だ。
 そのとき、島の名だたる洞窟にはひと通り入って、「すごい洞窟だな」と感心はしたのだが、オレ的には観光の延長みたいな感覚だった。
 というのも、入ったのはすべて先人によってすでに探検されている洞窟ばかりで、未知の洞窟ではなかったからである。 「いい洞窟をたくさん見られて、よかったな」 帰路に就いたときの気持ちは、まあ、その程度のものだった。
 ではなぜ、この島がオレにとっての思い出深い場所なのかといえば、2つの大きな出来事が関係してくる。 そのひとつが、ケイビングガイドの育成と認定を行うようになったきっかけの地であるということだ。

 沖永良部島から帰って数カ月後、島の役場から連絡があった。
 役場の人の話によれば、国の地域雇用創造推進事業の一環として島で洞窟の観光化とケイビングガイドの育成を目論んでいるらしく、そのためのガイドの育成を手伝ってほしい、ということだった。
 オレに連絡してきたのは、M氏の推薦があったからだという。 事業は3年計画で、初年度のケイビングガイド講習会は2010年から始まった。

 正直に言えば、最初はまったくつまらなくて、仕事だからやる、というスタンスだった。
 オレは性格的に、自分がやりたいことをやりたいようにするのが好きな人間であって、率先して人に何かを教えるタイプではなかったのだ。 ただ、受けた仕事はちゃんとやるというのも信条ではあるので、仕事としてかなり真面目に取り組んだ。

 オレには洞窟を探検したり、お客さんを連れて行くための経験やノウハウは十分にあったが、沖永良部島の洞窟に関する知識や情報は少なかった。
 講師として、地元のガイド候補生に地元の洞窟のガイディングの仕方を教えるには、まずはオレ自身が沖永良部島の洞窟のことをもっとよく知らなければならなかった。
 そこで講習会前には、地元の知り合いに洞窟の入口を教えてもらい島の洞窟をひと通り巡り、講習会がはじまってからもその日の講習が終わると翌日に入洞予定の洞窟に入り、その洞窟のどんなところに魅力があって、どんなガイディングをすればいいのか、事前にシミュレーションをした。
 おかげで、島の既存の洞窟には何回も入ることになり、あとから話す銀水洞の〝再発見〟へとつながっていくのだ。

 最初の1年目は、そんな「自分も勉強しながら、人に教える」という感じで講習会を進めていった。
 初年度のすべての講習を無事に終えて、3人の受講生にガイド認定証を発行するとなったとき、「社団法人日本ケイビング協会(現・日本ケイビング連盟)」という組織も設立した。
 彼らの認定を行ったのはオレ個人なのだが、「吉田勝次認定ケイビングガイド」じゃカッコがつかないだろうと、ガイド認定の看板のために作ったのだ。

 その後、沖永良部島でのケイビングガイド講習は2年目、3年目と続いていったのだが、それと並行して2012年からは西表島でも依頼を受けて講習を行った。
 はじめは仕事として割り切ってやっていたガイド講習だったが、そのころになると自分らしいやり方も確立してきて、けっこう楽しんでやっていた。

 オレのモットーは「教えてほしければ、オレから引き出せ」である。
 ガイド講習をはじめる前、オレはいつも講習生たちにこう宣言していた。
「君たちが『つまらん奴』『嫌な奴』だったら、オレはすぐに帰るからね」
「オレは自分から引き出しを開けるつもりはない。でも、君らがオレを楽しませてくれたら、どんどん引き出しを開けて、いろいろ教えてやるよ」
「オレからノウハウを引き出して、いい講習会になるかどうかは、君たち次第だからね」

 かなり勝手な言い分だと思うが、まあオレらしいと言えばオレらしいだろう。
 それに真面目なことを言えば、洞窟のガイドはときとして人の命にかかわることもあるので、本人たちの「やりたい」「学びたい」という強い意志がなければ、レベルの高い技術は教えるべきじゃないという考えもあった。
 なので、「君たち次第」というスタンスを取っていた面もあるのだ。

 話は沖永良部島から離れてしまうが、オレから引き出すという点においては、西表島の2期目の講習生たちはすばらしかった。
 彼らは真剣で一生懸命でやる気に満ち溢れていた。
 サービス精神旺盛なオレは「交通費と宿泊費さえ出してくれれば、島に行って教えてやるから。あっ、でも、せめて飯ぐらいはおごってくれ」と話していたのだが、びっくりしたのは、講習がスタートする段階で彼らは完璧な予習をしており、初歩的な技術をすべてマスターしていたことだ。
 予習の指導を行ったのは、1期目に一人だけ認定した西表島ガイドのリーダー的な立場の中川氏だった。
 ロープにぶら下がったりするために身につけるハーネスは彼が持っている1個しかなかったにもかかわらず、2期目の講習生全員が完璧な予習ができていたということは、「ハーネスを交換し合いながら、相当に日数をかけてやったな」と容易に想像できた。

 彼らの真剣さに感動したオレはどんどん引き出しを開けてしまい、「これも教えてやる」「これも覚えられるか?」と、かなり高度な講習会になったと思う。
 彼らは本当にオレから根こそぎ引き出していったんじゃないだろうか。あっちこっちに仲間ができるのは、楽しく、嬉しいことだ。

ケイビングガイドの使命とは?

 脱線ついでに、ケイビングガイドについてすこし話をさせてほしい。

 ガイド認定をするにあたっての基準や講習カリキュラムは、すべてオレが自分で作った。なぜなら、これまで日本にはそんなものはなかったからだ。なければ自分で作るしかない。

 ガイドのレベルには1から5まで5段階があり、だいたいの講習はレベル2からスタートする。
 レベル2が対象とするのは、管理されていない自然洞で、ロープで宙吊りになったりしない(つまり、縦穴じゃない)場所。ロープワークに関しては「すこし大きな段差でお客さんをロープで確保して、滑り落ちないようにする」程度の講習はするが、基本的に横穴がメインとなる。

 レベル3からは技術的な難易度が格段に上がる。
 レベル3になると完全に垂直な縦穴でロープで宙吊りになったり、その状態で動けなくなったお客さんをどうやって引き上げたり、下ろしたりするかという複雑なロープワークの習得が必須になってくる。

 講習会の依頼があった場合は、先方に出てきてもらうのではなく、基本的にこっちが出張して、地元の洞窟で講習会を行う。
 講習生が晴れて正式にガイドになった暁には、地元の洞窟でお客さんを案内するわけで、その洞窟にどんなリスクが潜んでいて、それを回避するにはどうすればいいのかということを講習を通じて学んでもらったほうが、効率的かつ実践的だからだ。

 また、洞窟探検家でもあるオレが彼らの地元の洞窟に入ることで、彼ら自身が気づけていないその洞窟の魅力や価値、可能性を再発見できるというメリットもある。

 例えば、講習中に何か面白いものを見つけると、「これはね……」とその場で詳しく説明をする。
 彼らは、そこで教わった内容を、そのまま自分のガイディングに使えるというわけだ。
 気になる穴があれば「ちょっと見てくるわ」と言って、まずはオレが一人で入って偵察をする。その結果から「入口は狭いけど、奥に行くと広くなるよ」とか、「ずっと進んでいくと海に出られるから、ガイドツアーのコースに使えるんじゃない」というアドバイスもできるのだ。

 カリキュラムにはほかにも洞窟内での写真の撮り方や測量の仕方も含まれているし、実技講習の前には机上講習も行い、洞窟の出来方や地質、鍾乳石の種類など洞窟に関する基本的な知識を学んでもらっている。

 ガイドはまずは安全第一で、なおかつエンターテイナーでなければならない―それがオレ の基本的な考え方で、そのためにリスク回避や安全確保の技術とともに、お客さんをいかに楽しませるか、満足させるかというノウハウもぜひ身につけてほしいと思っている。

 さらに、オレがもうひとつ、ガイドの役割として重視していることがある。それは「いかに洞窟を守っていくか」ということ。
 洞窟を含めた周辺の自然環境を保護することもガイドの重要な使命だと考えている。

 環境保護という観点を究極的に突き詰めていくと、「いちばんいいのは、人が入らないことじゃないか」「ガイドが客を連れて行けば、どんどん環境破壊が進んでいくんじゃないか」という意見を言う人もいる。
 しかし、オレはそうは思わない。人がまったく入らなければ、自分たちの足下にどれほどすばらしい洞窟があるのかもわからない。
 何も知らないまま、木を伐採したり、農地開発したりすると、地上の変化がストレートに地下に出てしまう。地下の貴重な自然環境は、いったん壊れると復活しない、デリケートな空間なのだ。
 実際、石垣島では、空港を建設するために貴重な蝙蝠が生息していた洞窟がつぶされてしまったという話を聞いている。

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洞窟ばか

吉田 勝次
扶桑社
2017-01-08

この連載について

初回を読む
洞窟ばか

吉田勝次

『クレイジージャーニー』『情熱大陸』などテレビで話題沸騰の洞窟探検家・吉田勝次。国内外で挑んできた洞窟は1000を超える。「なぜ洞窟か?」と聞かれれば、「そこに未知の世界があるから」。 17㎝の隙間があれば身体を押し込み、泥にまみれ、...もっと読む

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