母は薬物中毒。食べられない4兄弟姉妹
中本さんが保護司として担当した子どもの知り合いの知り合い……。
そうやって子どもの繋がりの中で広がっていくケースもあれば、通ってきている子どもから親を知り、その親の知り合いの親のもとで暮らす子ども、といった具合に、親から子どもに辿り着くこともあった。
そう。いつしか中本さんは、子どもだけでなく、食べられていない親の面倒もみるようになった。
そういった場合も、当然のことながら、その親のもとで暮らす子ども全員を中本さんが抱えることになるのだが、あの4人の兄弟姉妹の場合は少し家が遠すぎた。
中本さんの家に通っていた子どもの親で、覚せい剤の使用で服役したことのある母親がいた。
覚せい剤の影響から精神が不安定になり、精神安定剤を処方されていたのだが、食事が不規則なため「食後に薬を飲む」ことが時々わからなくなるようで、飲まなかったり、逆に一度に大量に飲んでしまったりと、きちんと薬を飲むことさえもままならない母親だった。
中本さんは、その母親の子ども2人に、毎日のように食事を振る舞うだけでなく、その母親も家に呼んで食事を提供したり、子どもたちに母親の分の弁当を持たせたりと何かと気にかけていた。
そんな日々が続く中で、母親も中本さんを慕うようになり、その母親の仲間も中本さんのところへ連れてくるようになった。
その1人がかつての覚せい剤仲間だというケイコさんだった。
ケイコさんには、中学生の女の子、小学校高学年の男の子2人、そして低学年の女の子という4人の子どもがいた。父親は全員違うといい、最後の父親ともとっくに別れ、1人で子どもたちを抱えていた。
中本さんは「すぐに子どもを連れて来なさい」とすべてお見通しといった様子で、4人の子どもたちは、ほどなくして中本さんと関わるようになった。
話を聞くと、中本さんの予想通り、子どもたちは万引きをしながらかろうじて生きていた。
そんな中、長女だけは必死に空腹を我慢し、わずかな食料をやりくりして、犯罪に手を染めていない様子だった。
「自分だけに我慢を強いて下の子の犯罪には目をつぶる」といった、独特な兄弟愛が彼らを包んでいた。それはそれは不思議な雰囲気だった。
学校にも通っていないようで、社会から孤立しており、そのことがよりこの兄弟の絆を内側で強くしているようだった。
子どもたちの話から、ケイコさんはまだクスリをやめられていないことが疑われた。
ケイコさんは定期的に1~2週間家を空けてしまうようで、その間は食事を食べられていないとのことだったが、中本さんは、尿からクスリの反応が消えるまで雲隠れする人たちがいることをよく知っていた。
いつもだと「いつでもここに来なさい」となるケースだが、中本さんの家に毎日のように通うには、ケイコさんの家は遠すぎた。
それでも子どもたちは母親が雲隠れを始めると中本さんの家に歩いて1時間ほどかけて来るようになった。
でも、そんな日が続くと、中本さんも気を遣い、中本さんのほうから出かけて外食に招くのであった。いずれにしても継続していくには双方にとって負担が大きかった。
「養護施設に入ると食べられるのだが……」。
普段は思わないことも頭をよぎる中本さんだったが、ケイコさんは子どもたちを施設に入れることに反対だった。
子どもがいない分、生活保護の金額が減らされるからで、そういった親を中本さんは何人も見てきた。
しかし、ある日のこと、幸か不幸かケイコさんは脱法ハーブの使用で逮捕された。
“晴れて”保護者不在となった子どもたち。高校生になっていた長女は里親に、下の弟2人と妹は養護施設に預けられることになった。
それから3年ほどが経つが、運動会や学芸会などの行事があると欠かさず中本さんに声がかかり、養護施設のある町まで1時間ほどかけてせっせと出かけている。
子どもたちは皆、環境の変化で驚くほど変わった。
長男と次男はともに高校に進学。施設に入ってから始めた野球に2人とものめり込み、今は甲子園を夢見て練習に打ち込んでいる。
しかも長男は人望もあり生徒会の役員にも選ばれたという。
長女はというと里親のもとを離れ、保育士の専門学校へと進み1人暮らしを始めた。
「働くようになったら弟や妹に何か買ってあげたい」と将来の夢を中本さんに語ったという。
このことを聞いた時、何があっても自分は犯罪に手を染めなかった長女の強い覚悟に気づけていなかったことを知った。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。