信用の外部化における貨幣の質的変化
今まで貨幣として使われてきたものを信用性と汎用性の二つの軸のマトリクスでまとめてみましょう。縦軸は「信用の外部化の度合い」、つまり貨幣化の度合いを表します。そして横軸が「地域的な拡大の度合い」であり、汎用性の拡大を表します。
まず図の縦軸から説明します。信用がどうやって外部化してきたのかということを示したステップです。
最初は、信用は外部化しない形、つまりみんなによる持ち寄りの時代でした。原始的な共同体においては、生産物は個人ではなく集団の持ち物だったのです。ここでは「贈与」という価値観もないままに消費される段階です。共同体の最小単位である家族内においても価値の交換は行われません。家族全体でシェアされ、それがゆえに構成員は安心と信頼を得るのです。
その前提として婚姻制度を中心とした共同体を規定する仕組みがありました。人類20万年の歴史の中で、多くが贈与経済を用いた部族間の交換であり、一方が何かを贈与すると、それに対して返礼する。それが延々と繰り返されるという形でモノやサービス(財という)の交換がなされていました。
次に信用が一部、外部化され、個人間の取引になります。ここでは、会計の仕組みによって個々人が互いの取引を記帳することによって、財(モノやサービス)の交換を行いました。この段階においては、個人間の信用関係を基礎としています。
次の段階として、兌換(だかん)通貨の発行、金(きん)に換えられる通貨の発行です。貴金属などとの交換を前提として、信用を持ち運ぶことができる形態に変化した段階です。
そしてその次の段階は、不換通貨の発行です。信用の前提を貴金属などに置くのではなく、その信用を権威つまり、王権や政府に置くものであり、現代の貨幣はここにあたります。 単なる交換から、貸借になり、そのうちみんなが欲しがる財が通貨となり、それに信用が集中していきます。そこから貴金属等に信用母体が変化し、その後王様がお金を定義するという流れです。
信用の範囲の拡大における貨幣の量的変化
次は横軸のお金の適用範囲の拡大、つまり社会的・地域的な拡大の変化を見てみましょう。
こちらは共同体内、国家内、国家間そして無国籍(グローバル)に整理することができます。本来は、共同体を超えた取引は、価値基準に関して合意することは難しいのですが、価値流通においてお金が用いられる場合は、その強制的な拡大が可能です。それは、お金が数字によって表現されているからなのだと思います。
お金はこの二軸で発展してきました。最初にわかりやすく理解してもらうために簡単にお金の歴史を述べましたが、ここではもう少し詳しく書いてみたいと思います。
最初、原始共産制があり、そして記帳が増える、その記帳がグローバルに展開していき商人の取引が大きくなり、そして現代のロスチャイルドのように5人の息子のうち4人を他国に送り、5カ所で銀行業を発展させたグループが現れ、ネットワーク取引という時代がありました。すでに一四世紀半ばには、トスカーナ、ジェノバ、バルセロナなどの都市国家では、小切手などの借用書による支払いが一般的になりつつありました。現存する最古の小切手は、フィレンツェの貴族階級であるトルナクィンチ家が銀行家のカステリャーニ家に振り出した1368年の小切手です。
16世紀半ばには、ヨーロッパを中心に国際商人の私的なネットワークによって商業取引の国際化が行われてきました。各国において使用範囲が限定され、王権によって管理されるソブリンマネー(sovereign は独立国家、主権者)を超えて新しい商業経済を成長させるために、ヨーロッパの国際商人は階層型の信用体系を創りだしたのです。
国際商人は、四半期ごとに大商会の一団がリヨンの大市に集まって、帳簿を精算するようになりました。大市の最初の2日間は大量の売買が行われ、新しい勘定の記入のため、古い勘定の整理が行われました。2日目の終わりに四半期分の帳簿を締め、商会間の残高を照合し、3日目に、為替銀行業者だけが集まって「コント」を作成する。コントは貿易金融システム全体の軸になっていて国際商人ネットワークと彼らの用いた帳簿精算システムによって大規模な商取引が可能となったのです。
やがて、商業と政治の融和の結果として17世紀に登場したのが中央銀行制度です。最初の中央銀行は、イングランド銀行であり、ウィリアム・パターソンの発案で1694年に設立され、1709年には、イギリス国内での銀行券の発行を事実上独占する権利を与えられました。これによって国際商人のプライベートネットワークとソブリン通貨の融合が実現しました。
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