村上春樹の読み方『1973年のピンボール』中編

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)が話題になっている村上春樹の小説を、finalventさんが初期作から読みなおすことで改めてそこに描かれていたもの探る試み。前回に引き続き『1973年のピンボール』(講談社文庫)の中編。主題は、「出口」、つまり回想の物語から現在に出てくることで語り手がどのように変化するかにあることが、実は明示されていた本作。複雑な構成とパズルに覆われている主題が徐々に明らかになります。

「人と人を繋ぐ仕組み」を意味する配電盤


1973年のピンボール 講談社文庫

 前編では二重のメタメッセージの仕組みを説明した。では主題に焦点を当てつつメインの物語の再読に入ろう。

 まずパラレルワールドの一つである「僕」の生活で、ピンボールに仮託された思い出の意味から問うとよい。それこそが作品のタイトル『1973年のピンボール』に対応しているためだ。「僕」が「スペースシップ」と呼ばれるピンボールマシンに出会ったのは、物語の現在から3年前、1970年のこと。季節は明示されていないが、場所は鼠と過ごしたバーである。鼠はピンボールマシンに夢中になっていた。その後、1970年の冬に、「僕」は新宿のゲームセンターにある「スペースシップ」に夢中になり、最高得点を叩き出すに至った。「僕」がピンボールマシンでプレイしたのはそこまでである。

 『1973年のピンボール』というタイトルは、1973年の晩秋に苦労して「スペースシップ」というピンボールマシンを探し求め、再会したことを示している。物語のクライマックスとなる再開のシーンでは、プレイもせず語り合った。いや、語り合った相手は、ピンボールマシンとして蘇った、かつての「僕」の、自殺した「直子」という名前の恋人のいわば死霊である。

 死んだ直子がなぜピンボールマシンとして蘇ったのか。ここに小説のパズルが潜んでいる。解くためには、直子が自殺した時期と、ピンボールマシンの関わりを見直す必要がある。

 直子が死んだことは序章にあたる「1969―1973」で触れられているが、それがいつかは直接的には示されていない。示されているのは、1969年の春に大学のラウンジで「僕」と直子が、彼女の育った街について語り合っていたことだ。その時点で直子は生きていた。また、その4年後の1973年の5月、「僕」は正装をして一人、直子の育った街を訪問した。この時点では直子はすでに死んでいる。正装の理由が三回忌法要なら、直子の死は1971年ということになるが、後に明かされるように直子の自死は1970年である。その上でメインの物語は、1973年の9月から始まることになる。

 「僕」はその前年の1972年から友人と渋谷の翻訳事務所で働いている。「僕」の生活で変化があったのは、1973年の9月に「僕」の住居に双子の女の子が住み始めたことだ。次に、配電盤の入れ替えがあった。配電盤とは、簡易な電話交換装置であり、後の『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社文庫)で記されているように「人と人を繋ぐ仕組み」という象徴である。新しい配電盤が届くことによって「僕」の人生に影響を与える新しいメッセージが届くようになった。10年前のように他者の言葉が聞けるようになり、他者との対話が可能になったのである。

ピンボールマシンとの出会いと直子の死

 配電盤の交換後、「僕」は古い時代の対話を思い出し、1973年という現在についてこう語る。

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