「いったい何者?」
美鈴は、会社の決算書をカバンから取り出した。
なぜ石島が森下書房の話を聞きたがるのか、そもそも猫カフェのマスターに会社の経営が理解できるのか疑問に思いながらも、美鈴は森下書房の置かれた窮状を説明した。
美鈴にとってはほぼ初対面の得体の知れない人物だが、パパと仲良くしていたこと、そしてお通夜に来てくれたことを考えれば、悪い人ではないのだろうという直感が働いた。
何より、自分の話を真剣に聞いてくれているようだった。
美鈴がひと通り説明を終えると、石島は眼鏡を人差し指で押し上げてから、こういった。
「どうやら森下書房は、『利益はあってもキャッシュがない』という状況のようですね」
「利益はあってもキャッシュはない?」
「そう。利益はわかりますよね」
「儲けたお金でしょ。それぐらいわかるよ」
すでにため口だ。美鈴にとって、ため口は心を許した証拠でもあった。
「もう少し具体的にいうと、売上から費用を引いたものです。カフェでいえば、お客様からいただく料金が売上になりますが、カフェを経営するにはお店の家賃やコーヒーや食べ物の仕入代金が必要になる。これらの費用を売上から差し引いたものが利益になるんです」
「うん、それは大丈夫。利益が出ているってことは、お金も手元に残るということでしょ」
「それは違います。利益は自由に使えるお金ではありません」
「えっ、どういうこと?」
「たとえば、うちのコーヒーは1杯500円です。お客様がコーヒーを注文すれば売上は500円になる。一方、1杯のコーヒーを提供するには費用もかかります。コーヒー豆を仕入れないといけないし、店舗の家賃や私の人件費も費用として含める必要がある。仮に費用が300円かかったとしましょう。そのときの利益はいくらですか?」
「500円-300円だから200円。カンタンだよ」
「でも、お客様が500円を払ってくれなかったら、どうなります?」
「それって食い逃げじゃない。そんなひどい客はいないでしょ」
「食い逃げはなくても、実際にはつけ払いというものがあります。ちなみに、キミのお父さんは常連さんだったので、よくつけ払いをされていました」
「そうでしたか……すみません」
「もちろん、つけ払いは悪いことではないけれど、お店としては困ったことになります。500円を売り上げて、計算上は利益が出ているはずなのに、現金がすぐには入ってこないからです。でも、コーヒー豆の代金や家賃は先に払わなければなりません。ということは、どういうことだと思いますか?」
「利益が出ていても、手元に現金がない……」
「そう、さっきも似たような言葉が出てきましたよね」
「あっ、利益はあってもキャッシュがない!」
「キャッシュ=現金という意味なんです」
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