説教の内容は忘却の彼方に

世の女性たちがなんとなく共有する、誰もが知るおじさん著名人たちへのファジーな嫌悪感の正体に迫る新連載「ニッポンのおじさん」。
第3回は、吉野源三郎さんの名作を羽賀翔一さんが漫画化しヒットとなった『君たちはどう生きるか』について。
一見、前回までとは違い、おじさんのコペル君へ向けた教訓を賞賛する鈴木涼美さんですが・・・・・・?


おじさんの説教はエンターテインメント

 とある知り合いの風俗嬢がベルギー人のお客に呼ばれてホテルに行ったら、しっかりコトを済ませた後に、「こんなことをしていてはいけないよ、これは君にとってベリーバッドな仕事だ」とややフランス訛りの英語で、日本人のおじさんの4割くらいがしがちな説教をされた、というのが私の「おじさんの説教」について持っている一番面白い話。どうやらおじさんというのは国境を越えて、説教をしたがる性質らしい。

 実は私、こういった説教おじさんというのが嫌いではない。まず、おじさんの説教というのは、彼らの学んできたことの集大成スピーチである。ドヤ顔で鼻の下に人差指を当てながら誇らしげに、「僕、こんなこと学んできたの」と、ものすごく大したことないことを言うその姿には、子供の発表会のような微笑ましさがある。そしてそのスピーチの最後に、目的はよくわからないが(多分自分に酔いたいんだと思う)、「俺だって昔はこんなの全然できなかったしさ。何やっても上司に怒られてきたしさ」と謎にしんみりした思い出話を付け加える人というのも多くて、なんか笑える。ドンマイ。

 第二に、大体のおじさんは説教する相手について、かつての自分、あるいは小さめの自分を想定しているので、自分が克服した、あるいは克服しかけている、あるいは克服したいと思っていることが透けて見えて楽しい。私の昔のちょっとした上司で、酔うと必ず「オリジナリティを出そうという気持ちに捉われて、普遍的な良い・悪いの判断ができなくなってはいけないよ」という説教をする人がいたが、その人が大変にオリジナリティを出そうという気持ちが前のめりすぎて、実際面白いか面白くないかはよくわからないような企画を出すのが得意だったので、その光景は見ていて愉快だった。

 最後に、そんなおじさんの説教も、結構聞いてみれば世の真理をついていることがある。私のような高慢ちきな女でも、唯一おじさんに負けを認めざるを得ないのは生きてきた年月であって、しかもおじさんという生き物は女の子とか美青年とかと違って、別に生きてるだけで美味しい思いをできるわけではないので、結構辛酸をなめている。ので、説教をものすごく真面目に聞くと、その世の中への苛立ちや絶望、そしてそれでも見出したい一筋の希望が、トラジェティとしてエンターテインメント性を持っている。役立つかどうかは別として。そして私たちは悲劇を見るのが好きなのだ。「おしん」とか。

 ということで、私は宴会の端っこの席やキャバクラの席や深夜の電話で説教垂れてくるおじさんがいると、スピーチとして楽しみ、彼という人間の後悔とコンプレックスを味わい、その道化の歩んできた悲劇を満喫する。ちなみに私のお好みは、説教の合間に「俺の若い頃なんて本当にひどくてさ」という武勇伝と自虐の間みたいな自分の若い頃の話をする、名付けて「ねぇ滑稽でしょ若い頃おじさん」かな。

『君たちはどう生きるか』のおじさんは立派だ

 最近の一番人気の説教おじさんというと、漫画版が大ヒット中の吉野源三郎『君たちはどう生きるか』に登場するおじさん、でしょうか。まああれ、私がオヤジを刺すのに使っている「おじさん」というより、主人公のリアルな「叔父さん」なのだけど、吉野源三郎的には国民の(特に少年たちの)叔父さんとして学びを導き、思いを伝えようと思ったのだろうし、細かいことは置いておこう。

 さて、このおじさんは主人公の少年であり、早くに父を亡くしてしまったコペルくんと議論したり、彼の学校生活の話を聞いたりして、彼に知っておいてほしいこと、気づいてほしいこと、覚えておいてほしいことなどを「おじさんのノート」として書き溜めていく。「君たちはどう生きるか」はコペルくんの生活やおじさんとの会話、そして「おじさんのノート」で構成される小説だ。

 実は私の通っていた小学校は、小学校6年生の国語の時間全てを使って、この本を丁寧に読んでいくというカリキュラムを採用しており(ちなみに中学1年生では井上靖「しろばんば」を1年間かけて読む)、だから私は頭の中の9割が「生理がいつくるか」と「安室奈美恵にはどうやったらなれるか」で占拠されていた小学6年生の頃、残りの1割のうちさらに1割くらいを使って始終この本について考えていた。

 さて、このおじさんはおじさんというには実はめっちゃ若いのだが、昭和30年代という時代のせいか、あるいは性格的なものなのか、かなりおじさんくさい。特に言い回しやノートの文体は「そう、そりゃあ、なんともしれないな」のような感じで若々しさはない。そして「おじさんのノート」にはその日にコペルくんと話した内容などを踏まえ、それをさらに掘り下げ、そういった考えがなぜ重要か、君の話したことには実はこんな意味がある、などとかなり丁寧にくどくど説明し、独善的でない形で、しかし時にはっきりと自分の意見を述べる。

 説教おじさんもここまでくれば大変に立派だ。おじさんの願いはコペルくんに「立派な人」になってもらうことで、そのために彼に物事の判断の仕方、捉え方などを少しずつ教えようと筆を走らせる。

この時代だからこそ響く、深い思考の大切さとは?

 知識に富んだこのおじさんの説教が、2017年に再び脚光を浴びているのはとても心強いことだと思う。なぜなら、昭和30年代はどうやら違うようだが、現代では、大人やおじさんたちの方が比較的おおらかでいい加減で、若者たちが過度に偽善的だったり正しさの押し付けに熱心だったりするからだ。若者たちがそうやって暴力的で単眼的な正しさに夢中になればなるほど、大人は正義や生き様について語らなくなり、近頃の若者はつまらん、と愚痴ばかりこぼすようになる。

 最近の普通のおじさんの説教がトラジェティ・スピーチくらいにしか楽しみようがないのは、彼らが語るべき正義や正しさなど持ち合わせておらず、どちらかというと若者と時代への絶望が前面に出てきているからだ。

 「おじさんのノート」の私が好きな一節は、こんな調子だ。「(前略)心に感じる苦しみやつらさは、人間が人間としてほんとうの状態にいないことから生じて、そのことをぼくたちに知らせてくれるものだ」。

 これはコペルくんが友人に対して小さな裏切りをしてしまったことを心に病み、後悔に苛まれている時に綴られたものだが、要するにこのおじさんは全編通して、思考を止めるな、感じるだけではなく感じたことを考えろ、何度でもじっくり考えることをやめてはいけない、想像しろ俯瞰しろ抽象化しろthink think thinkと説いている。そしてだからこそこの小説につけられたタイトルは「君たちはどう生きるか」と、人間が死するときまで考え続けるべき答えのないものになっていると私には思える。

深く考えるより漫画で手軽に読みたいあなたへ

 そしてこの考えろ、という説教は今のこの時代にこそ、あるいは昭和30年代よりも深刻に求められている。思考を始める前に指はスマートフォンの画面を滑り、思考を始める前に多量の情報が目に入り、思考を始める前に移動できるほど科学は発達した。便利すぎる世の中は、むしろ思考を停止しろというメッセージを絶えず発していて、だからこそ、二重三重に考えなくてはならないような問いに対しても一瞬で、例えば140文字で反射的に答えてしまう若者が頻出なう。

 便利すぎ、スピーディする世の中で、一度移動をやめてこれは何だ、あれは何を意味するのか、と考える癖をつけなければ、人間は考えない葦になってしまう。今こそこの本が再読されるべきだ! 大ヒット万歳! しかもとっても便利でスピーディに読める漫画になって登場!

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この連載について

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ニッポンのおじさん

鈴木涼美

どこか物悲しく、憎めないおじさん。男にリスペクトされる好感度高い系おじさん。こじらせおじさん。新しい価値観で社会を斬るおじさん。そして日本社会を動かすおじさん。彼らはなぜ〈おじさん〉になってしまったのか。彼らの何が〈おじさん〉たる所以...もっと読む

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コメント

shunsukearii 説教しないようにしようと強く思う。 無口なおじさんになりそう 10ヶ月前 replyretweetfavorite

osakana22_0811 この人の文章おもしろい https://t.co/bHn9OYtncz 10ヶ月前 replyretweetfavorite

Suzumixxx cakesも連載更新。この時代に君たちはどう生きるかをヒットさせるおじさま方の素晴らしきメンタリティ。 https://t.co/LBcfOMI2Xy 10ヶ月前 replyretweetfavorite

mai_tosho 連載第3回は、いま話題の漫画『君たちはどう生きるか』を取り上げます! 一見、おじさんのコペル君へ向けた教訓を賞賛する鈴木さんですが……? 10ヶ月前 replyretweetfavorite