透明人間、あらわるあらわる

エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これは「ぼく」が、ものや人を通じて、「生」を組み立てていくものがたり、 のようなエッセイ、のようなもの。
まずは、透明人間の話からはじめます。

 ぼくは透明人間がきらいだ。

 つねにあやふやで、不確かで、クラゲみたいに透き通っているから。

 だからやつらの祖先は、だれにも、自分にさえも見るのできない肉体になんとか形を与えようとして、包帯なんて巻いたんだ。ぐるぐると、ばかみたいに、真剣に。

 輪郭を手に入れた透明人間は、なにかになれただろうか。そうまでして、なりたかったものになれただろうか。

 意地の悪いぼくは、所詮きみは透明人間から、包帯を巻いた透明人間になっただけだよ、と言ってやりたくなる。わざわざタイムマシンに乗ってでも言いにいきたい。それでやつが泣いたって、その涙は見えないのだ。だからぼくの胸は痛まない。ちっとも痛んだりしない。

 たぶん。


 かつて人が透明になるには、とくべつな薬が必要だった。もちろん、そんな薬はどこにも売っていないから、いちから作らなくてはいけず、大変な労力を要したらしい。

 しかしこのごろのやつらは、もっと簡単な方法で透明になろうとする。

 捨てるのだ。心臓も、脳みそも、たましいも、こころさえもすべて。

 実に短絡的だけれど、簡単に説明すればこうだ。

 ・捨てる→ かるくなる→ うすくなる→ みえなくなる=透明になる

 彼らのことを、仮に空洞型透明人間と名付けよう。

 空洞型透明人間たちは、一見するとなんの特徴もない。けれど、よく見ると目がどこも見ていないし、放たれる言葉のすべてがぼおっとしている。全体的にたよりない印象であることがほとんどだ。それでいて、透明感のようなものとはほど遠く、なにもかもにこびりついてしまう煤煙のような不快さが残る。

 たとえば、友人とランチをするとしよう。

 友人「お待たせ。なに食べたい?」

 空洞「なんでもいいよ」

 友人「じゃあ、近いしつるとんたんにしない?」

 空洞「いいね。ぼくつるとんたん大好き」

 そうしてふたりはつるとんたんに入店する。店内はそこそこ混んでいる。透明人間は席に座るでもなく、通路に立ったままぼんやりしている。なにかが引っかかっているようだ。友人が早く座ろうよ、と懇願するような目で見る。背後の店員は、お冷のコップを持ったまま「無」の顔で佇んでいる。

 やっとの思いで着席してからも長い。

 友人「ちょっと高いけど、私はこのセットにする。あなたは?」

 空洞「うーん、メニューの見方がわからないな……」

 友人「え、来たことあるんじゃないの?」

 空洞「う—ん……」

 透明人間は首をかしげながら、いつまでもメニューを見ている。どれも美味しそうだ。なのに頭に入ってこない。まだなにかが引っかかっているのだ。そのうち友人にせっつかれる。

 友人「ねえ、まだ決まらないの?」

 空洞「うーん……」

 すると透明人間は、ふと思い出したように言う。

 空洞「ほんとはピザがたべたかったんだんだ」

 この場合、空洞型透明人間である彼が、ほんとうにピザを食べたかったどうかは定かではないし、過去につるとんたんに来たことがあるかどうかについては、真剣に考えてみるのもばからしい。

 友人は、「私がつるとんたんなんて言ったばかりに、さっきからぼんやりしてたんだわ」「じゃあ最初に言えばいいのに」「これじゃあ私が悪者みたい」と悶々としながら、うどんをズポズポすするはめになる。ズポズポは怒りの音だ。その隣で、透明人間はのんきにカツ丼なんて食べている。つるとんたんだってのに。

 こんなやつとは絶対に関わりたくないというみなさんは、目に注目すること。注意深く見ると、両目に一文字ずつ「空」「洞」と書いてあるから。


 やつらの大半は、そういう自分を恥じている。だから他者というものが総じてこわい。できることなら、だれにも関わらずにいたい。

 特に目をじっと見て、人の値打ちをはかるタイプの人間(ぼくはカラス人間と呼んでいる)に出くわすと、いてもたってもいられくなる。汗もたくさんかく。「ばれちゃう」と思うからだ。

 その結果、必要以上に言葉を発するはめになる。あたかも、自分の中身がぎちぎちのパンパンで、すこしの隙間さえもないんだといわんばかりに。

 けれど、透明人間に言葉はない。あるわけがないのだ。だって中身が空っぽなんだから。

 機関銃のように話し終えてぜいぜい息を切らしている透明人間を、その目に浮かんだ「空」と「洞」の字を、カラス人間はじっと見据える。そして「ふう—ん」とか言う。とても意味ありげに。つよく。

 もうおしまいだ。

 ぜつぼうだ。


 透明人間は空っぽだ。

 なのに傷つくことだけは、人並み以上にできる。

 そうして数少ない友人に泣きついて、せっかく会ってくれることになったというのに、つるとんたんに行く流れになり、うっかりピザのことを口にしてしまうってわけだ。そうして人も傷つける。

 彼らの目的は、生きることでもしぬことでもない。ほんとの透明になって、この世界から消えてしまうことだ。

 だって、こんなにも空っぽで、いてもいなくても変わらないどころか、いないほうがやや良いというくらいの自分が、これから何十年もの人生を生きていくなんて、考えただけでめまいがする。それに、一度透明になることを望んでしまったら、もう二度とふつうの人間には戻れないのだ。わからないけど、きっとそう。

 生きていくのはおっくうだ。けど、しぬのはこわい、痛そうだからこわい。このまま透明になって、きれいさっぱり消えたい。身体だけじゃなく、空っぽなりに生きてきた痕跡も、関わらせてしまった人々の記憶もすべて。

 それは地球のために、世界のために、やさしい友人のために、カラス人間のために、つるとんたんのために。そう、透明人間はぼくだ。

 ぼくの話なんだ。

「どうしてなにもかもを捨てようなんて思ったの?」

 そう聞かれると(聞かれたことないけど)、ぼくは(あるいはぼくらは)ひどい断絶を感じてますます消えたくなる。けれど、あえて説明するとしたら、「だって空っぽになれば、痛まないで生きていけるじゃないか」ってことだ。

 じゃあ、その痛みってなんですかと聞かれたら、もはや答えようがない。だって、あれを捨ててしまったのは、もうずっとまえのことだし、そもそも忘れてしまうために捨てたのだから。いまにして思えばたいした痛みではなかった気もするけれど、きっとぼくにとっては一大事だったんだろう。そのリアクションとして、たまたま空っぽになることを選んだってだけのことだ。

 それでもたまに、空っぽになった胸のはしっこがうずくことがある。まるで捨て去った痛みが亡霊となって、ふたたびぼくのなかに潜り込もうとしているみたいに。しかし、感覚さえも捨てたぼくは、今更それを感知することはできない。やがて痛みのやつは諦めて、ぼくの胸から出ていく。何度も何度も、かなしげにこちらを振り返りながら。

 こういう生き方を後悔しているかと聞かれたら、わからない。だけど、もういちど人生をやり直せたとしても、また同じような痛みにつまずいて、透明になることを望む気がする。この手のぼくの直感は、空っぽになってもまだ鋭い。

 しかしなかには、透明になるという選択を、ひどく後悔しているやつもいるらしい。


「おれね、ちょっと変わってるんだ」

 一昨年の夏に遭遇した男は、新宿のバーで顔を合わせるなりそう言った。目の力が強い、強すぎるといっていいほどの男だった。

「へえ、どんなふうに?」

 ぼくがたずねると、男はうんと気取った調子で答えた。

「じつはおれ、元皇族家の生まれでさ」

 男の服装は、ギラギラした白いドラゴンが描いてあるタンクトップと、薄汚れた七部丈のズボン、履き潰されたコンバースのスニーカーだった。背は低く、髪は長くてごわごわしている。

「へえ、すごいや」

 ぼくが感心して言うと、男はいびつにひしゃげたアルミ缶みたいな笑顔をうかべながら、「いや、ぜんぜんすごくなんかないって。皇族なんて、めんどうな規則ばっかだし。つい最近になるまでおれ、コンビニがなにかも知らなかったもん」と言った。

 そのとき、ほくは持ち込み可能のバーで、まさにコンビニのおにぎりにかぶりつこうとしていたところだった。

「そんな人生、想像もつかないよ」

「退屈なもんさ。でもさあ、おれって所作がうつくしいってよく言われるんだよね。そこだけはまあ、家柄ってもんに感謝してもいいかな」

 彼は誇らしげな表情を浮かべながら、誰かが持ってきた餃子を手づかみで頬張ると、油のついた指をちゅーちゅー吸った。記憶が正しければ、それは多忙なマスターのために、常連さんが持ってきたものだった。

 ぼくは困惑しながら、(かわいそうに、きっと皇族なんて人たちは、餃子も気軽には食べられないんだろうな……)と思った。

(次に会うときは冷凍のたこ焼きとか、変わり種のおにぎりをたらふく食わせてやろう……)

 しかし、ふたたびバーで彼に遭遇したとき、彼は元皇族から、京都にある和菓子の名家生まれということになっていた。そのうえ、普段は大学の教授だという話だったのが、たいへんな資産家で、お台場の土地を巡ってディズニーと戦っているらしい。

 けれど、服装は変わらずドラゴンのタンクトップのままだったし、ものを手で食べるのも、そのあとのちゅーちゅーも変わらなかった。いったいどういうことだろう。

 それからしばらくして、ぱたりと彼を見かけなくなったころ、彼がひどい大ボラ吹きとしてバーの界隈では有名な人物だったことを知った。どんどん積み上げられていくジェンガのように、口を開くたび嘘が増えていくというのだ。

「まったく、見ているほうがハラハラしちゃう」

 そのときたまたまバーにいたみんなで検証したのをくっつけると、彼は元皇族家の生まれだったが、両親の離婚によって京都の和菓子屋、もしくは呉服屋の名家に移り、宝くじに当選。億万長者になり、暇つぶしでIT社長になりつつ大学教授もこなし、たまに外資系企業とNHKで働きながら、お台場の土地をめぐってディズニーと戦っているらしい。

「もし全部ほんとうなら、ルフィーよりすごい人生じゃない?」

 漫画好きな友人が、呆れたようにそう言った。たしかにそうかもしれない。

「最後に見かけたのは、半年前にぐうぜん見に行った舞台のロビーだったんだけどね」

 べつの友人がそう切り出すと、その場にいたみんながごくりと息を飲んだ。ぼくも一応飲んでおいた。

「やっぱりいつものタンクトップ姿で、見たこともないくらい気の抜けた顔で、天井のシャンデリアを見てたの。その目がね、なんともいえない、こうぼやっとした感じで、まるで脱ぎ捨てられた着ぐるみみたいだったのよ」

「やだー、こわい!」

 みんなはそう言って笑っていたけれど、ぼくはある確信につつまれて、とてもじゃないけど笑っていられなかった。

 透明人間だ。あいつは、透明人間だったのだ。

 いつも血走っていて、笑っていても怒っているみたいだったあいつの目。ひょっとすると、すこしでも気をぬくとたちまち目玉が回転して、例の「空」「洞」がでてきてしまうんじゃないか。そうならないように、必死でふんばっていたんじゃないか。

 だとすると、数々の虚言(に聞こえていたもの)は、空っぽになってしまった脳みそを、捨ててしまった記憶を、虚無からたぐりようとしていたってことなのかもしれない。そしてそれを、透明になって消えてしまうまえに、たったひとりの心のなかにでも、焼き付けておきたかったのかもしれない。

 つまり彼の話したエピソードは、すべてこう翻訳することができる。

「おれにも人生がありました」

 結局彼については、「頭がおかしかった」という結論がついて、それきりだれも話題にしなくなった。

 しかしぼくは、おんおんとむせび泣く彼の姿を、いまだに夢に見てしまう。

「おれにも人生があったんだ。あったんだよう」


 このあいだテレビで、双子みたいなアイドル歌手が、たまたま透明人間がテーマのうたを歌っているのを見た。ぼくが生まれるずっと前、1978年のうただった。

「透明人間 あらわる・あらわる」

 そのうたのなかで、透明人間はぼくたちのまえに姿を現し、ひっそりと独白する。天下無敵のチャンピオンが突然ダウンを食らったのも、スプーンが自在に曲がったりねじれたりするのも、ポルターガイストをはじめとする怪奇現象も、すべては自分の仕業なのだと。

「人間たちはなにもしらないで、それを悲劇とか神秘とか騒いでいるのよ。まったく、なんて愚かなんでしょう」

 すっかりいろいろを話し終えた透明人間は、これ以上ないというくらい軽快なリズムに乗って、ふたたびぼくらの前から姿を消す。まるで煙のように。そしてたのしげに。

「消えますよ・消えますよ・消えます・消えます・消えます」

 そのうたを聴いたとき、ぼくはへんなうただなあ、としか思った。なのに涙がでた。すごくすごくでた。

 もしかすると、消えていく透明人間がうやらましかっただけかもしれないし、あるいは別の何かに、胸を動かされていたのかもしれない。わからない。

 とにかく、ぼくは透明人間がきらいだ。

 つまり自分なんてきらいなんだ。

この連載について

ぼくは本当にいるのさ

少年アヤ

痛みと共に捨て去った、ひかりをぼくは取り戻す―― エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これ...もっと読む

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0OVVXBFhAUeM0lb https://t.co/DLuILrQsiU ジェンダーだとかなんとか関係のものはあまり好きではないけど、これはホントに文章が上手で読みやすかった。 4ヶ月前 replyretweetfavorite

kironabei 少年アヤちゃんちょっとしばらく見ない気がしていたら新たなエッセイを始めていた あ〜〜〜〜文章うめ〜〜〜〜〜〜〜ア〜〜〜〜〜くそっくそっ 8ヶ月前 replyretweetfavorite

takfzy 少年アヤさんの文章が又読めて嬉しい。 そう、透明人間はぼくだ。ぼくの話なんだ。 既に次回が楽しみです⤴ 9ヶ月前 replyretweetfavorite

HEKEMOKO_ ─ 骨董屋を開いてたのか。つげ義春といい才能があるのに生きづらい魂は骨董へ向かうのか 9ヶ月前 replyretweetfavorite