僕らだって扉くらい開けられる
1
音無(おとなし)希和(きわ)が、お願いします、と頭を下げると、酒屋のご主人が「頑張ってね」と一言声をかけてくれた。涙が零れそうになって、思わず唇を嚙む。その場で泣き崩れたい衝動に駆られるが、涙をごまかすようにもう一度深々と礼をし、外に出た。急いで、数軒隣のクリーニング屋さんに向かう。
希和が持っているのは、捜し人のビラだ。手製のビラには、一人娘の和歌の姿が印刷されている。
四歳の娘が忽然(こつぜん)と姿を消したのは、もう三か月も前のことになる。近所のショッピングセンターで、希和が目を離したほんのわずかな間に、娘はいなくなってしまった。サービスカウンターで迷子放送を流してもらっても反応がなく、ショッピングセンターと家の間や、子供が行きそうな場所を捜し回っても見つからない。もしや、と嫌な予感がして、希和は警察に駆け込んだ。
警察に事情を話すと、すぐに行方不明者として捜索が開始された。が、現場での目撃証言はほとんどなく、防犯カメラにも、行動を摑めるような映像は残されていなかった。
誘拐と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、金銭目的の営利誘拐だ。だが、シングルマザーの希和には、経済的余裕はあまりない。現在は、公的援助を受けながら働き、市営団地で娘と二人暮らしをしている状態だ。貧困とまではいかないものの、収入はギリギリ、貯金もない。身代金など要求されたところで、とても払えない。
お金が目的の誘拐犯なら、和歌の服装で裕福な家の子供なのかを判断するだろう。和歌には、高い服など着せてやることはできていない。だとすると、誘拐の目的は。
——何か、思い当たることはありませんか?
担当刑事は熱心に話を聞いてくれたが、初動捜査は上手くいかず、ほぼお手上げの状態であったようだ。手掛かりもない。動機もわからない。希和も、できる限りの情報は提供した。当日の服装、性格、特徴。だが、どれもこれも、役に立つとは思えない情報ばかりだ。
——娘は、「超能力者」なんです。
娘が連れ去られる理由として、思い当たるもの。唯一の可能性は、和歌が「超能力」を持っているという事実だった。和歌は、言葉を使わなくとも、相手に思いを伝えることができる。いわゆる、「テレパシー」と呼ばれる超能力を持っているのだ。
和歌がテレパシーを使うと、和歌の声が希和の頭に直接響いてくる。希和はテレパシーで言葉を返すことはできないが、頭の中で聞こえた和歌の声に対して普通に言葉を返せば、ちゃんと会話が成立する。気のせいではない。一緒に生活していて、日々、目の当たりにしてきた現象だ。
もしかしたら、娘の超能力が関係しているかもしれない。けれど、超能力、などと言ったところで、人に信じてもらえるはずがない。話すべきか否か。迷った挙句、希和は意を決して「超能力」という言葉を口に出した。だが、案の定、刑事の反応は「ちょ、超能力ですか?」という微妙なものだった。一体何を言い出したのか? という困惑ぶりがひしひしと伝わってきた。下手をすると、希和の精神状態が疑われて、和歌の捜索に力を入れてくれなくなってしまうかもしれない。
希和は結局、それ以上、和歌の超能力について話すのを止めた。
超能力というキーワードを伏せた影響があったかは分からないが、三か月経った今も、和歌の手掛かりは何一つない。公開捜査が始まった当初はテレビも取り上げてくれたし、地元の警察も捜索チームを組織してくれた。だが、それもいつまで続くかはわからない。このまま何も情報がなければ、報道はなくなり、捜索は打ち切られて、和歌のことは人々の記憶から消えていってしまう。
もう、生きてはいないのではないか。そんな心ない声も、ちらほらと耳に入る。ニュースでも、事故や変質者による犯行をにおわすような報道がされつつある。
違う。 和歌は、生きている。それは分かる。なぜなら——。