それが本音なのか建前なのか分からないけれど、一般的には「赤ちゃん=可愛い」という価値観の人がもっとも多い。赤ちゃんは容姿が端麗かどうかではなく赤ちゃんというだけで可愛いのだと。
とくに自分の子の場合は、ますます顔立ちは全く関係なく世界一可愛いし、たとえば親族にしたって、孫や甥や姪という時点で可愛く感じるものであって、容姿次第で態度が変わることなどない。
「お腹の子どもは、とにかく健康に生まれてきてくれれば、容姿なんてどんなだっていい。どんな顔だって可愛い我が子だから!」と、多くの親は言う。
私は子どもを産むにあたって「顔なんて何だっていい」とは思ったことがなく、妊娠中はひたすらに「どうか、可愛い顔でありますように……!」と願っていた。
赤ちゃんが可愛いかどうかは、顔による
健康であることと同じくらいに、顔立ちが美形であることを望んでいたから、臨月に旦那さんに一番よく問いかけていたことは「あ——、(お腹の子は)どんな顔をしているんだろう——顔が気になる——」だった。
私は、よその赤ちゃんを見て「可愛い」と思ったことが28年間で3回しかなく、多くの赤ちゃんに対しては「特に可愛くないな」と思いながら生きてきた。
街中で赤ちゃんを見かけるたびに「親の遺伝子、強いなぁ……」「こんなにも生まれた直後からすでに顔の特徴って出まくってるもんなのか……エグいな……」と思っていたし、友人の子どもと会った時は必ずコメントに困り「似てるね!」もしくは「まだ似てないね」と言った。
数少ない「可愛い」と思った赤ちゃんは、ネットで見かけた知らない人の子どもが2人と、海外ロケの時にたまたま遭遇した外国人の赤ちゃんで、3人とも、とにかく顔が可愛かった。
「赤ちゃん=可愛い」という感覚がなく、「赤ちゃんが可愛いかどうかは顔が可愛いかによる」という考えで生きてきた私は、我が子について「どうか運よく美形に生まれてほしい……」と願っていた。
だって、赤ちゃんは顔が可愛いかどうかで、世間から可愛がってもらえる量があまりにも違ってくる。
幸運なことに、息子はかなりの可愛い顔で生まれてきた。生まれたその日から、立体感のあるお人形さんのような整った顔立ちをしていて、入院中は助産師さんから掃除のおばさんから配膳のお姉さんまで、病室にくる全ての人が驚いたリアクションと「顔がスゴイ」という類のコメントをしていた。
赤ちゃんは内面では勝負ができない
生後1ヶ月が過ぎて出かけるようになってからは、街中でも電車の中でも飲食店でも「ずいぶん顔が可愛い赤ちゃんですね……!」と、その顔の可愛さに必ず驚かれる。
息子を褒める人はみんな「可愛い」の前に「顔が」と付ける。そこをかなり強調して私に伝える。「赤ちゃん=可愛い」という一般論があるだけに「そういう意味じゃなくて、顔の作りが!!」と伝えようとしてくれているのだと思う。
私は生まれてくる子どものことを、なるべく私の周りの人たちにも可愛がってほしかった。それには「可愛い」と思ってもらう必要があって、そのために顔の可愛さは大事なことだった。
そもそも本人の人生を考えても、顔はいい方がいいに決まっていて、「どうにかして美形に産んであげたい」という気持ちで山々だった(とはいえ、やり方は分からなかったけれど)。
よく「赤ちゃんの可愛さは顔立ち云々じゃない」と言う人がいるけれど、「むしろ赤ちゃんだからこそ顔が全てになるでしょ」と私は思う。
だって赤ちゃんには、性格や価値観などが何もない。生まれてから2年近くは喋ることさえできないわけで、つまり、内面の良さで他人から愛されるという手段がない。
大人になれば顔以外のいろんな良さで勝負ができるようになるけれど、赤ちゃんには外見しかない。幼ければ幼いほど、情報が顔しかない。
そう考えると、その赤ちゃんが多くの人から可愛がってもらえるかどうかは、顔立ちの良さにかなりかかってくる。母親としては、自分が産んでいる上に毎日24時間ずっと一緒にいて育てるのだから可愛いと感じるに決まっているけれど、他人目線で考えると赤ちゃんの可愛さは顔立ちで決まる。
ブスやブサイクに産んでしまったら
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