瀬戸内寂聴「幼少期に本と出会う」

【第1回】95歳、ご活躍を続ける作家・瀬戸内寂聴さん。これまでの人生を通して、何を書こうとしてきたのか。ご自身が代表作を3点選び、それらを軸にして創作活動の歴史を語ります。その3点は『夏の終り』(1963)、『美は乱調にあり』(66)と『諧調は偽りなり』(84)の一組、『源氏物語』現代語訳(98)。まずは作家になる以前、本を読むのが好きだったという幼少期から話をお聞きします。(聞き手・平野啓一郎)

瀬戸内晴美から瀬戸内寂聴へ

平野啓一郎(以下、平野) この〈現代作家アーカイヴ〉では、インタヴューを受けていただく作家の皆さんに、それぞれ代表作を三つ選んでいただいて、お話を伺うことになっています。

今回、瀬戸内さんがお選びくださったのは、『夏の終り』という、もう何度も映画やドラマになっている有名な作品と、『美は乱調にあり』、『諧調は偽りなり』という、書かれた年代は少し時間が空いていますが、セットで一つの話になっている連作と、『源氏物語』の現代語訳です。瀬戸内さんの初期の創作から最近の仕事に至るまで、ほどよく分布されたセレクションになっていますので、これらの作品を中心にお話を伺っていきたいと思います。

最初の『夏の終り』は、瀬戸内さんの出世作ですね。まずは作家になられるまでのことを少し伺って、デビュー作を経て『夏の終り』に至るまでのお話をお伺いしたいです。

瀬戸内さんは1922年5月15日に徳島県徳島市に生まれ、本名は「晴美」というお名前でいらっしゃる。最初は三谷家の次女として生まれ、その後、お父様が瀬戸内家の養子に入られて、女学校時代に瀬戸内姓に改名されたということですが。

瀬戸内寂聴(以下、瀬戸内) はい。家族養子というのでしょうか、家族全部が養子縁組をしました。

平野 瀬戸内晴美という名前で随分と本を書かれていますが、まるでペンネームのようなお名前ですね。瀬戸内海にこう、晴れた美しい空が広がっているかのような。晴美というのはもともとは三谷という名字に付けられた名前だと思うのですが、瀬戸内という名前とも妙にぴったりですね。美しいお名前です。

瀬戸内 瀬戸内晴美ってね、宝塚みたいでしょう。宝塚にこの名前の真似をした人がいるんですよ。でも気恥ずかしい、何となくね。

それで前からね、瀬戸内晴美もいいけれど、80歳になったらどうかなあと思っていたんです。それで51歳で出家しまして、「寂聴」という法名をいただきましたから、「ああ、これはちょうどいい」と思って、「瀬戸内寂聴にする」と言いましたら、出版社が嫌がるんです。瀬戸内晴美で売っていましたから、瀬戸内寂聴なんて売れないと言うんです。

それで、出家してからもしばらく晴美を使っていたんですけど、やっぱり書きにくいでしょ。だからもういいじゃないかと思って、あるときから寂聴にしたんです。いまは、昔の瀬戸内晴美で出版していたものも全部、瀬戸内寂聴に直しています。

平野 そうですか。僕も実は誤解していて、出家された後、すぐに瀬戸内寂聴の名前で書き始めたと思っていました。ところが、作品をずっと辿っていくと、寂聴に変わられたのが出家してから随分と後だったので、その理由も伺おうと思っていました。出版社のせいだったんですね。逆に、いまの若い学生とか、瀬戸内晴美という名前を聞いてもわからないかもしれません。

瀬戸内 若い人は、その名前は知らないですね。だから「お子さんですか」とか、「お孫さんですか」なんて言う人がいます。

平野 子どもの頃は、瀬戸内晴美というお名前は気に入っていたんですか。

瀬戸内 もう気に入っていましたね。二人姉妹なんですけど、姉が「艶(つや)」っていうんですよ。だから、私、お父さんに、「お姉さんができたときは色っぽい芸者さんが好きで、私ができたときは場末のカフェの晴美さんが好きだったの?」と聞いたら、怒られましてね。

父親は、私のときは、男の子が欲しかったんです。それで女の子だったでしょう。生まれても、なかなか名前を付けてくれなかったんです。そのときはまだおばあちゃんが生きていて、「かわいそうだから早く付けてやって」と父に言ってくれて。そしたら「晴美」って、ぱっと言ったんですって。生まれたのが5月15日ですから、そんな感じがしたんでしょうね。

幼少期に本と出会う

平野 ずっと徳島で育たれて、大学に行くまでいらしたそうですが、本を読むこと、特に文学に興味を持つようになったのはいつ頃からなんでしょう?

瀬戸内 姉は五つ年が違うんです。その姉が早くから少女雑誌とか小説とか読んでいたから、それを私も読んだんです。もう学校へ上がる前から字は覚えて、本が好きで、とにかく姉の読むものを全部一緒に読んだから、ませてね。

姉が小学生のとき私は幼稚園で、家までが遠かったんです。だから、帰りは幼稚園が終わると姉の教室へ行って、その一番前に先生が席を作ってくれて、そこに座って授業が終わるまで待っているんです。だから幼稚園のときに、五つも年上の小学生の授業を受けているわけ。

平野 おとなしく座って、授業をちゃんと聞いていたんですか。

瀬戸内 わからないけどね。先生が、キンダーブックとかいろいろな本を私に貸してくれて、私は窓際の一番前の席でそれを一生懸命見ていたんです。

平野 本を読むのは最初から好きだったのですね。

瀬戸内 そうそう、好きだった。私に席を作ってくれた姉の小学校の先生は、フルシマハルコ先生というお名前でしたけれど、その方が大変な文学少女だったの。お宅へ行くと、もう壁にいっぱい、その頃の明治大正文学全集から外国の翻訳文学全集なんかあるんですよ。それを姉に貸してくれたんです。そして私も一緒に読んだの。だから、読む本には不自由しなかった。

小学校に行きだしてからは、すぐ近くに光慶図書館という蜂須賀さんの図書館が徳島公園(現・徳島中央公園)のなかにあるんですね。そこへ行くようになりまして、本を借りて読むということを覚えて、日曜日はほとんど図書館に行っていました。

平野 本は買って読むというより、図書館で借りてきて読むものだったのですね。最初に文学作品で面白いなと思われたのは、どういう小説ですか。

瀬戸内 それは覚えてないけれども、翻訳小説が面白かったですね。小学生では難しいものはわからないから。でも『女の一生』とか、それなりに面白かったです。

平野 当時、徳島で翻訳小説を手に入れることは、比較的容易だったんですか。

瀬戸内 岩波文庫がありましたから。いまの若い人たちは本を読まないのは当たり前でしょう。でもその頃は、本を読まない男の子なんて女の子は相手にしなかった。

だから、デートなんて言葉はないけど、逢い引きするときは男の子は誰も読まないのに、岩波文庫の哲学書をポケットに入れていくんです。そしたら女学生が、「あ、この子はいいな」と思ってね、それで仲良くなる、そんな感じだったですよ。楽しみがないですから。映画は見ちゃいけない、音楽は聞いちゃいけない、何でもいけない時代でしたから、本を読むことは唯一の快楽だった。

平野 ご家族では、お姉さま以外に、ご両親も本は読まれていたんですか。

瀬戸内 いやいや、うちはもう父親も母親も没落家族の末ですからね。父親の方は、父のお父さん、私にとってはお祖父さんに当たる人は讃岐の人で、村の和三盆の製糖造の一番長で偉かったんですよ。

ところが、「飲む、使う」を番頭に教えられて。田舎を巡業する芝居があるでしょ、それが好きで、あるとき村にやってきた女芝居の座長にひと目で惚れて、その一座に付いて家出しちゃったんです。だから、ちょっとその血を受けているじゃないのかしら、私(笑)。

それで、和三盆の製糖所は潰れるし。父を含め男の子3人と女の子1人の4人の子どもがいて、残されたおばあちゃんは苦労したらしいですよ。父親はそのとき小学校5年だったんですって。成績はすごく良かったんだけれども、もうすぐに徳島の指物職人のところへ奉公にやられた。だから本なんかほとんど読まない。

母親の方は、やっぱり本が好きで、でも13歳のときに母のお母さんが死んで、長女でしたから弟や妹がうじゃうじゃといた。その世話をしなければならなくて、かわいそうだったんですけどね。

でも、母の妹である叔母に言わせたら、田舎でね、貸本屋が必ずうちへ寄るのは母が借りるからだったんですって。姉さんに、貸本屋が来るんですと言うのね。それで毎日一番日当たりのいい、風の通る座敷で寝っ転がって、貸し本を読んでいたって。

平野 その血を受け継いでいるんですね。

瀬戸内 そうですね。平野さんのように、うちに本はなかったですよ。だけど、お友だちに本をたくさん持っている子がいてね。私は成績が良かったから、クラスで一番でしょ。二番の子は高利貸しの娘で、家庭教師を付けてやっと二番になるの。その子のおばさんは女子大に行っていて、おうちへ行くと、本が壁いっぱいに並んでいるんですよ。「これはいい」と思って、仲良くなって、毎日その子のうちに行って、私が全部読んじゃった。だから本には不自由しなかったわね。


次回「作品を書き始めたのは女学校時代」へ続く

瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)

1922年生まれ。57年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞、61年『田村俊子』で田村俊子賞、63年『夏の終り』で女流文学賞、92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、96年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞、06年イタリアの国際ノニーノ賞、11年『風景』で泉鏡花文学賞を受賞。98年に『源氏物語』現代語訳を完訳。2017年、長編小説『いのち』を刊行。

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)

1975年生まれ。京都大学在学中の99年『日蝕』により芥川賞を受賞。2009年『決壊』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、『ドーン』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。14年フランスの 芸術文化勲章シュヴァリエ、17年『マチネの終わりに』で渡辺淳一文学賞を受賞。小説に『葬送』『高瀬川』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』など多数。


『現代作家アーカイヴ』刊行記念トークイベント
「作家の言葉」の魅力とは?~映像と活字のメディアによる記録をめざして~

出演:平野啓一郎(作家)、武田将明(英文学者)、阿部賢一(中東欧文学者)
日時: 12月22日(金)19:30~(19:00開場)
場所:丸善池袋店2Fイベントスペース(当日受付: 1Fエスカレータ横カウンター)
入場料: 1000円(ソフトドリンク代込み)
https://honto.jp/store/news/detail_041000023818.h...


瀬戸内寂聴さんのインタヴュー動画は
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貴重な朗読もお楽しみ下さい!

瀬戸内寂聴さんのインタヴュー動画|飯田橋文学会

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現代作家アーカイヴ1: 自身の創作活動を語る

高橋 源一郎,古井 由吉,瀬戸内 寂聴,平野 啓一郎,飯田橋文学会
東京大学出版会
2017-11-11

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高橋源一郎さん、瀬戸内寂聴さん、谷川俊太郎さん、横尾忠則さん…小説家・詩人・美術家の人たちは何を生み出してきたか? 自身が代表作を3作選び、それらを軸として創作活動の歴史を振り返ります。創作の極意、転機となった出来事、これからの話ーー...もっと読む

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コメント

scentofmatin 「平野 当時、徳島で翻訳小説を手に入れることは、比較的容易だったんですか。 3年弱前 replyretweetfavorite

hiranok そして、 3年弱前 replyretweetfavorite

thinktink_jp "平野 子どもの頃は、 #drip_app 3年弱前 replyretweetfavorite