わんぱく主義と愛国

不道徳なお母さんライターが、日本の「道徳教育」のタブーに踏み込み、軽やかに、完膚なきまでに解体! まずは、文明が開化された明治時代までさかのぼり、日本における「読書」と「道徳」の関係を見てみましょう。絵本の定番「桃太郎」もかなりの乱暴者として描かれていたこの時代、戦況とあいまって、どんどん「わんぱく主義」が台頭してきたようで…。

猟奇的な「桃太郎」に焦るお母さん

巌谷小波の日本昔話叢書のおかげで、明治の子供たちのヒーローとして再生した「桃太郎」だが、現代の視点から読むと驚くような箇所が多々ある。まず、桃太郎に出会った犬のあいさつがひどい。

「ウーわんわん! 己れ此斑殿の領分を、断りも無く通ろうとは不屈な奴、其の喰って居る弁当を、残らず置いて行けばよし。異議に及べば此処で、頭から咬み殺してくれるぞ。ウーわんわん!」

犬、登場するなり殺意満々。しかし桃太郎も負けていない。「何をぬかす野良犬奴! 吾こそは此度皇国の為めに、鬼が嶋を征伐に参る、桃太郎と申す者だ。邪魔立て致さば用捨はない、己こそ頭から、真二に切て棄てるぞ」。こっちも殺す気満々。出会い頭で殺しあうのやめて!

キジも鳥類離れした喧嘩殺法の持ち主だ。「片ツ端から汝等を、咬み殺して呉れるぞ!」と煽りながら鬼ヶ島に一番乗りしたキジは、鉄棒で殴りかかってきた鬼をひらりと交わして脳天一突きで殺し、別方向から襲い掛かってきた鬼の胸板を突き破る。桃太郎、犬、猿も船から乗り込んで、そこから先はアクション映画さながらの大乱闘。命乞いをする鬼へも容赦がない。「日本へ連れてゆき、法の通り首を刎ね、瓦となして屋根の上に梟すから、免れぬ処と覚悟を致せ」。鬼の首を切ってリアル鬼瓦にするなんて、ヤクザでも思いつかない。桃太郎チーム、伝説のヤンキーみたい。

明治中期は児童文学に残虐描写があってもさほど批判されることはなかった、とは前々回で触れたが、それはあくまで新聞雑誌の男性記者の観点だ。実際に子供のお守りをする母親からすれば、言い分はいろいろあるだろう。おりしも明治後半から欧米のホーム(家庭)概念が輸入され、子供の教育に熱心にかかわる母親がちらほら現われた頃だったから、お母さんの意見というものも世に登場し始める。

明治36年3月に日本母の会同盟会から出版された教育指南書『母. 第1編』の「おとぎ話」という項目では、イソップ物語やギリシャ神話などを良書としておすすめしつつも、桃太郎やカチカチ山、舌きり雀といった日本の昔話に対しては、「みだりに供給することは考えねばなりません」と否定的だ。「桃太郎の話を聞けば自分も桃太郎その人になった気になり、酒呑童子の話を聞けばまたそれになる。思うても御覧なさい。よし想像だけであっても、右の手に大杯を挙げ満面朱のごとき夜叉的人物となったとするならば、彼らの将来にいかなる影響を与えるでしょうか」。

子供がライダーキックを真似して暴力をふるっては困ると『仮面ライダー』を問題視するような観点が、早くも登場している。お母さんとしては我が子が首切り抗争に明け暮れる喧嘩師になってしまっては下げる頭がいくつあっても足りないわけで、読ませたくないと思うのは無理もない。

道徳よりもわんぱく

ただ、日清戦争以降に書かれた巌谷小波のお伽噺を読むと、残虐描写やあからさまな皇国主義は次第に影を潜め、動物や植物がのびのびと活躍する天真爛漫なお話が増えてくる。登場人物も”敵は絶対殺すマン”から、「やアいやアい!お臍が欲しけりや取りに来い。お臍は何れでも選り取りだイ。ポンポコ、ポンポコ、ポンポコポン!」と雷を煽るようなわんぱく少年(「雷の臍」)や、小さな池でのいじめに耐えかね海へ飛び出して「総理鯛臣」になる金魚(「金魚銀魚」)など、おおらかでユーモラスな存在に変化している。お伽噺を書くために一番必要なことは「自分が子供になること」だと語っていた小波は、リアルな子供の言動や感想に触れるため、子供たちにお話を語り聞かせる活動に熱心に取り組んでいた。これが作風の変化につながったのだろう。ファン層はますます広がり、日本児童文学における巌谷小波一人勝ち状態は続いていく。

しかしこのドタバタ路線もまた、論議を呼んだ。代表的なものは、明治31年に起きた国学者・武島羽衣と巌谷小波のメルヘン論争だ。武島羽衣は『少年文集』および『帝国文学』で、少年の心に寄り添うメルヘンの作者は巌谷小波をおいてほかにいないとその功績をたたえつつ、有益な教訓や大々的な理想が欠乏していると批判した。さらに巌谷小波作品の感化力を見込んで、忠君愛国や国家的観念を子どもたちに鼓吹するような物語を書いてほしいと要求したのである。

この愛国リクエストに対して、巌谷小波は反論「メルヘンに就て」を『太陽』に寄稿する。

一言以て申さば、父兄がおとなしくさせんとする小供を、小生はわんぱくにさせ、学校で利巧にする少年を、此方は馬鹿にするようなものに御座候。 (……) されど、必ずしも寓意、教訓の筆法を、絶対的に排斥する者には無之、時として之を用うるも、そは忠孝仁義等のみの道徳主義を採らず、寧ろ尚武冒険等の腕白主義に依らんと欲する者に御座候。
「メルヘンに就て」巌谷小波(『太陽』4巻10号、明治31年5月5日)

道徳よりもわんぱく、忠君愛国よりも尚武冒険、利巧よりもバカを良しするこの「わんぱく主義」は、教育勅語が教育界を支配していた当時としてはかなりアナーキーな言説といえる。子どもからの圧倒的な人気が、それを言えるだけの自信の支えになっていたのだろう。

お伽噺で女児に追いかけられる巌本善治

『女学雑誌』主宰の巌本善治は、巌谷小波のお伽噺が子供の心をとらえていることを褒めたたえ、「これを馬鹿らしとするものは、高等小学以上中学程度の生意気盛の男児と、また学問一点張の学者となるべし」と批判者をぶった斬った(「巌谷小波氏」『女学雑誌』明治31年11月)。

道徳要素の薄い巌谷小波作品を厳格なキリスト教主義者が擁護するとは意外だが、彼は擁護ついでにこんなエピソードを披露している。華族女学院幼稚園を観覧した巌本善治は、お話のおじさんとして同園を出入りしていた巌谷小波と間違えられ、大喜びの女児たちにねだられて巌谷小波のお伽噺を読み聞かせるはめになった。帰り際には、女児たちが巌本善治の裾をつかんで足にすがり、「帰られん、帰えさぬ」と叫ばれるほどの人気者になってしまう。よほど凍りきったハートの持ち主でない限り、この状況に陥って巌谷小波を肯定しない人はいないだろう。

「彼無邪気なる輩に愛慕せらることを得る、豈にまた楽しからずや」。ヒゲのおじさんのにやけ顔が目に浮かぶようである。

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堀越英美

核家族化で家庭教育はダメになった? 読み聞かせで心を育てるって……本当に? 日本で盲信されてしまっている教育における「道徳」神話の数々。そのすべてを、あの現代女児カルチャー論の名著『女の子は本当にピンクが好きなのか』でセンセーションを...もっと読む

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