私の出演する映画はすべてヒットしました。あんなに憎まれていたはずなのに、歌手としてアルバムを出せばミリオンセラー。数年も経たないうちに女性誌では「自分の生き方を貫く理想の女性像」と持ち上げられ、CMの依頼が数多く舞い込みました。
テレビ局で打ち合わせをしていたときのことです。以前、オーディションで私を扱き下ろしたプロデューサーが、揉み手をしながら近づいてきました。私は「息が臭い」と難癖をつけて急所を蹴飛ばしてやった。私を敵に回したことで、そのPは地方にある系列局の資料室に飛ばされたそうです。「この世は強者の好きなようにできている」。社長の口癖の通りでした。
手のひらを返した世間を味方につけて、私はわが世の春を謳歌しました。
誰もが私に憧れ、謁見を求め、足元に跪いた。社長に政財界の黒幕がバックに付いているという噂がまことしやかに流れると、社長だけでなく、社長の秘蔵っ子である私に対しても、マスコミはバッシングを控えるようになった。表立って指を差されることはなくなりましたが、それと同時に男も寄り付かなくなりました。ヤケドをしたくないので、遠巻きに眺めることしかしない男たちがいる一方で、果敢に秋波を送り、挑んでくる勇者たち。その身を焦がしても街灯に突き進む夜の蛾のように、彼らはみな無謀で、それゆえ美しかった。
満天の星のように、数えきれないほどの思い出が、今も胸の中で輝きを放っています。
飛山社長とのことを除けば、私に関する噂はすべて本当です。「恋多き女」と書かれましたが、社長の教えを破ったつもりはありません。
横綱とはお忍びで旅行をしましたし、監督には楽屋で「演技指導」を受けました。カツさんの最期を看取ったのも私です。
今でも、あの人がアメリカで活躍している姿を見かけると、つい目が細くなります。プロポーズされましたが、お断りしました。あの頃の私はまだ女優としての夢を捨て切れなかった。それでもシーズン最多安打記録を更新したときは、自分のことのように喜びました。背番号「51」は、私の永久欠番です。
ヒールを履くと、タックンは私とそんなに身長が変わらなかった。
「ぶっちゃけ、どうなのそれ」
そう言って顔を見合わせて笑った。文字通りの『ビューティフルライフ』を一生忘れないと思います。
なんだか私と別れたほうが、みなさんその後幸せに過ごしているようですね。私は男をダメにしてしまう女なのかもしれません。
他にもまだいますが、きりがないので、ここではあとふたりに絞りましょう。
お金の使い道を知らない彼は、平日にもよくパーティを開いていました。
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