星野源「焼きそば恥だがカップ立つ」
カップ焼きそばが嫌いである。そもそもあれは焼きそばではないと僕は思っている。だって炒めてないんだもの。強いて言うならゆでそばだ。カップゆでそばだ。こんなことを言っているから彼女もできないし、周りから星野さんがまためんどくさいことを言っていると言われるのだろうけど。その他にも嫌いな面はいくつかある。まずかやく。かやくって何だよ。普通に具でいいじゃないか。
あとは湯切り。あれがまったく進化していない。いつまでたっても完璧にできた試しがない。あれを克服しない限り、人類はまだまだだ。こんなことを言っているから彼女もできないし、周りから星野さんがまためんどくさいことを言っていると言われるのだろうけど(2回目)。あとシンクにお湯を捨てたときにボンッ!ってなるのもやめてもらいたい。あれはシンクのせいじゃなくてカップ焼きそば側の問題だ。要するに、お湯を使わなくてもいいようにつくってほしい。こんなこと言ってるから......。
[対談]村上龍×坂本龍一「YS.cafe超やきそば論」
村上 この前、取材で南米に行ったら、びっくりしたわけ。なにがってそんなところにもカップ焼きそばが売っているんだよ。ホテルで作って食っていたらさ、俺 は今、どこの国で何をしているんだろうって(笑)。
坂本 今の話をフォローすると、資本主義から国境がなくなっているって話ね。都市と都市のネットワークが発達して、物理的な距離はもう無効化しているわけ。
村上 そう。国境があいまいになって、国家を超えた都市圏ができてきている。それこそコンピュータもそうだし、食品なんかもそう。
坂本 特にインスタント食品はね。カップ焼きそばってさ、方程式はデリダなんだよね。かやくとソースを取り出して、バラバラにするわけじゃない? 最後にそれを組み合わせて、一つの作品にするわけだから。
村上 脱構築ね。それとさ、何度作っても同じ味になるっていうのは、極めてディジタル的だよね。どこの国で誰が作っても同じ味になるわけ。
坂本 お店の焼きそばが近代だとしたら、カップ焼きそばは脱近代ってことか。
村上 カップ焼きそばを食べるとさ、破滅的な気分にならない?
坂本 あんまり食べないから、よく分からないな。
村上 なるんだよ。湯切りして、ソースを混ぜて食べているとさ。というのも、インスタント食品ていうのは、極めてコンピュータ的な行為なわけじゃない?
坂本 少なくとも動物的ではないよ。野生のシカはカップ焼きそばを食べない気がするな。
村上 そう。機械的なんだよ。だからこそ不健康な気がして、反発したくなるの。
坂本 逆説的に、人間のアニマルな部分が呼び起こされるわけね。でも、食欲はサティスファイ(充足)される。
村上 うん。そのアンビヴァレント(二律背反)ね。カップ焼きそばって、動物的な欲求と直結しているのに、人間のエモーショナルなところは排除されているの。だからこそ、対象物対自分というか、そういう問題に回帰するところはあるよね。
坂本 自分の存在を問われているわけね。
村上 そういう時代になると思うよ。
坂本 うん。七〇年代からそれは強まっている気がする