いいか、遺族を一致団結させないためにリーダーを引き抜く最大の極意。
それはな、自分たちを「特別」だと思わせてやることなんだ。他の言葉に置き換えてもいいが、それはあんたが考えろ。
飛行機が墜ちて死んだのは、ほとんど名もない人たちだ。だいたいは働いていたから、生涯賃金も算出しやすい。
政財界の大物が乗った飛行機は墜ちない。墜落したときは陰謀以外ありえない。
有名な芸能人の身内はリーダーにならない。飛行機が墜ちても遺族会には加わらない。もともと彼らは「特別」の恩恵を受けてきたし、死んだ身内に悪いイメージが付くことを何よりも恐れる。ただでさえ世の耳目を集める事故に巻き込まれているのに、またぞろ芸能レポーターに追い掛け回されて「悲劇の偶像」に祀り上げられるのは御免だと思っている。
それに急逝したのが歌手だった場合、今後の臨時収入が見込める。かつてのヒットソングが再燃して売れ直すからだ。凡庸なバラードが「人々の幸せを願った永遠の名曲」に生まれ変わる。頼んでもいないのに、毎年飛行機が墜落した日にテレビ局が勝手に特集を組んでくれる。そうしてアルバムが売れる。しめたものだと思わないか。
問題は名もなき家の「明るい未来」を奪われた家族、つまり、小さい子供を持つ親だ。
年寄りが死んだならいい厄介払いだが、クソガキだとそうはいかない。一応この社会では、子供は「未知の可能性を秘めた希望の象徴」ということになっているからだ。
公立ではなく私立の学校に通わせていた親のほうが怒りもプライドも高い。投資額が高かったし、設計図も大きかったからだ。その他大勢の扱いなど我慢ならない。
競争社会を勝ち抜いて手に入れたという、三十五年ローンのうさぎの住み家に私は出向く。上から下までEddie Bauerで身を包んだ親と無印良品のテーブルを挟む。あちらの恨みと絶望は冷めることがないし、冷ます必要もない。だから交渉の際にこちらからひと言ふた言さりげなく織り交ぜればいい。
「一流の私立で成績も優秀だったのですね」
「ヴァイオリンを? 将来が嘱望されていたのに」
「どうせおまえの遺伝子を継いだ子供など、たとえ何事もなく成長していても建て売りの家がやっとだったさ」
最後だけは間違っても言ってはならない。
過剰な褒め言葉は彼らの自尊心を、優越感を、思い上がりを刺激する。
「そうだ、おまえらは将来大成するウチの子供を殺したんだ!」と、その場で怒りを燃やすかもしれない。しかしその炎は当の本人も焼け焦がしていく。それが狙いだ。私が去った後、すっかり「自分の子供は特別だ」と刷り込まれた親に、同じように子供を事故で失った親が電話をかけてくる。
「子供を亡くした親同士、一致団結して大洋航空を訴えましょう」
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