知らず下世話なイメージを抱いてしまっているけれど、荒木経惟ことアラーキーの写真はじつは、いつだって美しい。
その美は、アラーキーがいつも「私(わたくし)」の「愛」を描こうとしているからこそ生じるものだ。
スマホでの日常撮りはアラーキーが創始者?
日本の文学の世界には、他国と異なり独自の発展を遂げた「私小説」というジャンルがある。書き手と同一視できる人物を主人公にして、身の回りの出来事や心境を書き綴る。志賀直哉の作品など、国語の教科書で読まされたことがあるんじゃないか。
その向こうを張って、アラーキーは「私写真」を提唱した。
1971年刊行の写真集『センチメンタルな旅』前文で早くも、
「私の場合ずーっと私小説になると思います。私小説こそ、もっとも写真に近いと思っているからです。(略)私は日常の単々とすぎさってゆく順序になにかを感じています」
と書いて、以来ずっと実践をしてきた。
いま、私的な写真は世に溢れている。デジカメやスマホで私たちが日々撮っている写真、あれはまさに私写真だ。写真表現という分野を見ても、私写真的なるものは、日本では質量ともに最もボリュームのある層を形成している。
この一大ジャンルをつくり上げたのが、他ならぬアラーキーである。
カメラという機械を介して撮るから、写真はもともと客観的な表現になりがちで、私っぽさを出すのは難しい。どんな被写体を撮っても画面には表面しか写らず、内面を説明したりはなかなかできない。
荒木はもちろんそれを承知のうえで、
「人間があるメディアを通したら絶対私情が入る。どうしてもちょっと入っちゃうなら、いっぱいいれた方がいいじゃない」
とする。
アラーキー流では、作品に私情は滲み出れば出るほどいいのだ。
愛妻と愛猫が名作を生んだ
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