瞬きをしてまた目を開けたら、二メートルほど下に自分の身体を見下ろしていた。
『意識のリボン』より
作品世界が、一挙にぐっと広がった印象だ。
綿矢りささんの新刊『意識のリボン』は、2014年以降に書かれた8つの短編を集めた一冊。
「作品の語り手=綿矢りさ本人」と想像させる私小説風あり、話が進むにつれホラーっぽい要素が増してくるものあり、はては臨死体験を取り上げて通常の生の時間からはみ出した世界を書いたものまで。作品内容はバラエティに富む。そしてどの作も、小説として美しい。
小説をかたちづくる文章が読む側に呼び起こすイメージは豊かで、また文章そのものもよく練られて端正で、現代の新しい日本語を生み出すきっかけになりそうな斬新さに満ちているのだ。
「無駄なく脳みその溝に入り込んでいく文章を書きたい」
さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。
『蹴りたい背中』より
綿矢りささんは、10代で早くも文学の世界にデビューした。『インストール』で文藝賞を受賞したのがきっかけだった。3年後には『蹴りたい背中』で芥川賞。一挙に名を知られるようになる。
その際によく引用されたのが、上に掲げた『蹴りたい背中』の冒頭部。斬新で美しい言葉づかい。文章そのものが人に与えるインパクトは大きかった。
他にも、
とどきますか、とどきません。
『勝手にふるえてろ』 より
整頓せずにつめ込んできた憂鬱が扉の留め金の弱っている戸棚からなだれ落ちてくるのは、きまって夕方だ。
『しょうがの味は熱い』 より
などと、いつも出だしが凝りに凝っている。
書き出しには、たっぷりのこだわりがある?
以前はそういうところもありましたね。でも、そこだけに凝るのはずいぶん前にやめたつもりです。
書き出しさえうまく書ければいいという考えだと、作品が最後まで完成しないことが多いんですよ。頭のなかでいける! と思っても、10枚くらい書いたところで終わってしまったりする。雰囲気重視になってしまうということですかね。書き続けられずに何度も痛い目に遭ったので、今は話の核を全体の後半部分のどこかに置くようにしています。
そうはいうけれど、新刊に収められている『意識のリボン』の書き出しは、こうだ。
母というふんわりした繭に包まれた、小さな種、私の命。生まれ落ちたとき私は母の股の間から頭を出したとたん、ゃあ、とかぼそい声で泣いた。
快いリズム、優しい語彙、内容と字面の雰囲気の統一、喚起するイメージの美しさ。なんて多くのものを満たす書き出しの文章であることか。
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