昔はワルかった桃太郎、エロかった浦島太郎

不道徳なお母さんライターが、日本の「道徳教育」のタブーに踏み込み、軽やかに、完膚なきまでに解体! まずは、文明が開化された明治時代までさかのぼり、日本における「読書」と「道徳」の関係を見てみましょう。いまでこそ絵本の定番「桃太郎」は批判の対象で、「浦島太郎」はかなりアダルトな内容であったようで……

福沢諭吉もディスる桃太郎

小説はともかく、日本昔話に不道徳という印象を持つ人は少ないだろう。かつて日本PTA全国協議会が実施していたアンケート「子どもに見せたい番組」で、『まんが日本昔ばなし』が長らく上位にランクインしていたくらいだ。だが、明治時代は日本昔話が攻撃の対象となることも珍しくなかった。

有名なところでは、福沢諭吉が我が子のために記した教訓書『ひびのおしえ』(明治4年)での「桃太郎」批判がある。

ももたろうが、おにがしまにゆきにしは、たからをとりにゆくといえり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、ももたろうは、ぬすびとともいうべき、わるものなり。(……)ただよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。
『ひびのおしえ』福沢諭吉

福沢諭吉の怒りの理由は、当時の桃太郎の多くに鬼が悪さをしていたという記述がなかったことにあった。民衆にとって鬼といえばワル、ワルといえば鬼なのであり、娯楽として親しまれていた昔話に大義名分は不要だった。この理不尽さゆえに、近代国家を担うべき明治の子どもにはふさわしくない非道な内容と捉えられたのだろう。

江戸時代でも、日本昔話はすでに口承民話や赤本(表紙の赤い絵冊子)などの形で民衆の間に広まっていた。とはいえ現代のように大量印刷で同一内容の本を全国販売しているわけではなかったから、村人や殿様から言われてしぶしぶ鬼ヶ島に向かうニート桃太郎もいれば、牛糞をお供にする桃太郎もいて、地域や媒体ごとにその内容はバラバラだった。桃太郎の出生も統一されておらず、江戸時代には桃を食べて若返った老夫婦がハッスルして桃太郎を出産する「回春型」のほうが主流だったという。

この「回春型」が消えて桃から生まれる「果生型」に一本化されたのは、明治20年に文部省から刊行された読み書き教科書『尋常小学校読本』に採用されてからのことだ。小学一年生の教材として、幼い子供に語り聞かせる昔話の定番だった桃太郎を掲載するにあたり、性的な要素が避けられたのだろう。とはいえ相変わらず、鬼は何も悪さをしていないのにやっつけられている。なじみやすさから教科書に採用されたものの、桃太郎はまだ「ひれつせんばん」呼ばわりされても致し方ない立ち位置にいた。

日本昔話は時代遅れ

小説の価値を称揚する立場からも、昔話はネガティブに扱われた。坪内逍遥『小説神髄』では、「猿蟹合戦」「桃太郎」「舌切雀」「かちかち山」といった昔話は「寓言の書」と呼ばれ、いずれ消える運命にあるとされている。

譬へば我が国の寓言なる「猿蟹合戦」の物語、「舌切雀」の話などを見よ。多少の妙意のあるべきなれども、之れを小児にかたり聞かする祖母、母親だに十に八九は寓意の所在を知れるはまれにて、たゞ一通りのつくりばなしと同一様のものぞと思へり。是れみな進化の自然にして、所謂フヘイブル次第におとろへ、寓意小説おこる原因なりかし。
『小説神髄』坪内逍遥

昔話にも風刺などの意味があるけれども、子供に語り聞かせる母・祖母がその意味を知らず面白話程度にしか思っていないから、(『西遊記』のような)複雑な寓意小説に取って代わられる、という主旨である。人間の内面を描く「小説」を、大人の男の鑑賞に堪えうる新しい芸術として啓蒙する立場からすれば、母親・祖母によって語られる昔話は「小説」への進化の過程で淘汰されるものでしかなかった。

一方、女子教育家の巌本善治は、西洋ではイソップ物語が道徳的な教訓を教えるものとされていたことから、昔話を聞かせることの道徳的価値を擁護した。しかし子どもに勧善懲悪を教える日本昔話として彼が挙げたのは、「猿蟹合戦、かちかち山、又は舌切雀、花咲き爺」(「子供のはなし」『女学雑誌』第95号 明治21年)のみだった。肝心の「桃太郎」は外されている。

言われてみれば、五大昔話の中で、「桃太郎」は異質である。欲張りだったりいじわるだったりする登場人物が罰を受ける勧善懲悪な他の昔話に比べ、「桃太郎」には道徳臭がない。大きな桃を拾ってきたおばあさんが欲張りだからといって魑魅魍魎に襲われたりしないし、桃太郎は親孝行に励むどころかふらりと鬼退治に出かけ、単にほしいからという理由で他人の宝を奪ってしまう。

本当はエロかった浦島太郎

そんな教育的によろしくない「桃太郎」を正義のヒーローに仕立てたのは、『こがね丸』で児童文学の道を切り開いた巌谷小波だ。

『こがね丸』をはじめとする「少年文学」叢書をヒットさせた博文館は、引き続き巌谷小波を起用して「日本昔噺」叢書の刊行をスタートする。これは民間説話を子供たちがわくわくするような書きぶりでリメイクしたシリーズで、現在知られる昔話の多くは「日本昔噺」叢書によって国民的スタンダードとなったものだ。巌谷小波が自作の子供向け物語や昔話を「お伽噺」と名付けたことで、子供向けのお話全般が「お伽噺」と総称されるようになった。

「お伽」とはもともと、貴人の退屈をまぎらわせるために話し相手をすることを意味する言葉で、聞き手は大人であることが想定されていた。室町時代から江戸時代にかけて成立した短編物語の総称「御伽草子」も、基本的には大人向けの物語である。

たとえば「御伽草子」における「浦島太郎」は、釣った亀を放してやった浦島太郎が、亀の化身である美女の強引な誘いで豪邸へ連れてゆかれて3年間の結婚生活を送るという、今とは異なるなまめかしい筋立てである。さらに平安中期の『続浦嶋子伝』までさかのぼると、「魚比目之興」(魚が並んで泳ぐような体位)だの「鴛同心之遊」(男性騎乗位)だの体位の名前がバンバン出てきて、浦島太郎が「亀が教える本当に気持ちのいいセックス」を堪能しまくっている。よくよく考えてみれば、大の男が「タイやヒラメの舞い踊り」だけで白髪になるまで時間を忘れるはずもないのだった。

このアダルトなお話を子供向けにするため、巌谷小波は浦島太郎を「いじめっ子から亀を救う正義のヒーロー」として書き換えた。私たちが「亀を助けるという善行をした浦島太郎がちょっと飲み食いしただけでおじいさんになってしまうのはなぜ? 竜宮城は寿命ぼったくりバーなの?」と首をかしげる現在の浦島太郎は、こうして生まれたのだ。

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堀越英美

核家族化で家庭教育はダメになった? 読み聞かせで心を育てるって……本当に? 日本で盲信されてしまっている教育における「道徳」神話の数々。そのすべてを、あの現代女児カルチャー論の名著『女の子は本当にピンクが好きなのか』でセンセーションを...もっと読む

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コメント

chibio6 浦島太郎、元は大人向けファンタジーのような内容だったのか。 1年以上前 replyretweetfavorite

CyMuPe 「亀が教える本当に気持ちのいいセックス」 https://t.co/dZKpUJFC4X 1年以上前 replyretweetfavorite

marekingu #スマートニュース 1年以上前 replyretweetfavorite

tomshirai よくよく考えてみれば、大の男が「タイやヒラメの舞い踊り」だけで白髪になるまで時間を忘れるはずもないのだった。 1年以上前 replyretweetfavorite