七年前、容疑者家族が見た地獄—復讐の始まり

毒ガスを運ぶラジコンヘリ、警察は犯人の乗る車を発見。しかし運転席にいたのはーー。
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 七年前、長男の健太が「少女を強姦しようとして殺した変態」と扱われて自殺した時、五十畑家は地獄を見た。

 健太は何もしていないはずだったから、きちんと話せば誤解であると分かる。高宮、古森ふるもりという二人の刑事が訪ねてきた時も、五十畑浩二はどこかでまだ、そう考えていた。

 だが現実はそうではなかった。警察はなかなか健太を解放してくれず、翌日も、またその翌日も容疑者として取り調べた。そしてその夜、五十畑家にはおかしな電話がかかってきた。かけた人間は名乗らず、少女を殺した変態さんのお宅ですか、と訊いてきた。受けた母親は動転し、大声で否定して通話を切った。だがその数十分後、なぜか別の番号から、同じようなことを訊く電話がかかってきた。動揺した母親は電話を切り、受話器から外した。

 その翌日にも電話はあった。その相手はいきなり、変態野郎の家はここか、変態野郎を出せ、とわめいた。受けた母親が事情を呑み込めないうち、再び電話が鳴った。今度の相手は笑いながら、変態の家につながった、と言った。電話の向こうからは複数の人間の笑い声が聞こえていた。その次の電話では、かけてきた人間は真面目な声で、あんたは五十畑健太の親だろう、いたいけな少女を強姦して殺すような子供を育てたのに、どうしてまだ生きているのか、と言った。どうして早く自殺しないのか、と。

 名前を呼ばれたことで、五十畑家の人間は完全に理解した。インターネットで事件のことを検索してみると、自宅のあるマンションの写真が公開されていた。他のサイトには住所と、家族の名前に年齢、それに顔写真と電話番号までが載せられていた。写真の上には「クズの家撮ってきた」というキャプションがつけられていた。家族のプロフィールの下には、様々なコメントが書き込まれていた。「死ねクズ」「これはさすがになぶり殺しでいいだろ」「最低だな。一家揃って牛裂きにして、内臓を豚の餌にすべき」……読んでいた母親は途中で嘔吐し、貧血を起こして倒れた。

 健太は未成年であり、氏名は出ないはずだった。それがなぜかこうなっていた。何もしていないはずの健太は少女を強姦して殺した変態になっており、任意同行のはずが逮捕になっており、「昔の同級生」と名乗る人間によれば、小学校の頃から近隣の幼女にわいせつ行為を繰り返していたことになっていた。その夜、帰宅した健太は状況を知ると自室に入り、ボールペンを首に突き刺して自殺した。噴き出た血は壁紙を汚し、痛い、助けて、と呻いてのたうち回る健太が掻きむしった跡が、カーペットにいつまでも残っていた。母親は心労で倒れ、父親は解雇され、一家が逃げるように引っ越すまでの間、健太の部屋はそのままであり、壁紙の染みとカーペットの跡はずっと消えずに残っていた。母親は一家が引っ越し、母方の姓を名乗って生活し始めて四ヶ月後、睡眠薬を大量に服用して死亡した。周囲には「病死」とだけ伝えられた。

 五十畑浩二は、残った幸生を連れて、両親の住む大阪の実家へ帰った。大阪の人間は東京から帰ってきた二人の逃亡者を、おおらかな無関心で受け容れてくれた。素性を明かせない浩二は何年経っても定職にけなかったが、幸生は祖父母の下でまた笑うようになった。

 だから、五十畑浩二は不思議でならなかった。高校三年生になった幸生が東京の大学に行きたいと言いだした時、お前は地獄に戻るつもりか、とすら言った。幸生は淡々と、志望大学のメリットや就職についての希望を話した。事件以後、幸生は兄の話を全くしなくなっていたから、浩二には分からなかった。幸生が兄を死に追いやった人間のうちの一人をすでに突き止め、彼女への復讐を具体的に考えていたことや、警察や真犯人、さらには任意同行されたにすぎない兄を変態の殺人鬼であると決めつけたマスコミや大衆への報復を切望していたことなど、何も知らなかった。それも当然だった。五十畑浩二は事件以後、インターネットというものを憎悪し、利用することなど一度もなかったのだ。

 だが幸生は違っていた。自身や家族への、どう見ても憂さ晴らしとしか思えない苛烈な罵倒を読み、そのはじまりまで遡り、最初に兄の素性をばらした人間に辿り着いていた。その人間は、兄の通っていた高校の掲示板で得意げに書き込んでいた。

>少女殺害事件の少年、たぶんうちの学校の奴。事件そいつの住所のすぐ近所だし、なんか家に二人組のおっさん来て、連れてかれてた
>> 二人組のデリヘルおっさんなんじゃね
>かもしれないけど学校来てないらしいから間違いない。名前→五十畑健太 二年一組 住所青梅市××‐××‐××←うちの近所
>> 個人情報はやめとけ
>たぶん××小で××中。出身者情報求む
>> いや確かにそいつ休んでるよ。理由不明
>> 俺も近所だけど聞き込み来てた。顔に痣あるやついないかって聞かれた
>それうちの親も聞かれた。こいつ痣っていうかアトピーあるし
>> やばくね? マジだろそれ
>>学校休んでるし本当かも
>怖いけどもうちょい調べてみる。わかったらまたUPする
>> 気をつけろよ
>ありがとう。怖いけど続報待ってて

 最初は掲示板内の人間も半信半疑だったようだが、この掲示板は部外者でも覗けるものだった。この書き込みがあった翌日から、おかしな電話が来始めたのだ。幸生は最初に書き込みをした人間のその後の書き込みから、一学年上で近所に住む野尾美咲だと確信した。野尾美咲は掲示板に外部の人間が書き込むようになってからも「最初にさらした人間です」と名乗り、書き込みを続けていた。個人情報の載せられた書き込みが削除されたのはずっと後になってからで、個人情報を勝手に書き込んだことを後悔するような書き込みは一度もなかった。掲示板を覗いている複数の人間から続報を期待され、得意に思っているに違いなかった。五十畑幸生は彼女の素性を調べ、無実の兄を殺しておきながら何の反省もしていない野尾美咲を、いつか捜し出して殺してやると決めた。東京の大学に進学したのは、いつでも彼女を捜し始められるように、との考えからだったが、人の多い東京で、偶然に見つけられるとは思っていなかった。

 だが幸生は野尾美咲を見つけた。何気なくインターネットで「野尾美咲」の名前を検索すると、同名・同年齢の女性が書いた論文が引っかかった。一見そのように見えないものの、「野尾」という姓の人間は、東京では極めて珍しい。幸生は大学に出向いて彼女を見つけ、つけ回した。

 そしてその巡りあわせは、五十畑幸生をして、兄の復讐を後押しする何かの存在を信じさせるに充分だった。事件から七年が経ち、兄は「変態の殺人犯」と思われたままなのに、野尾美咲は自分のしたことを忘れて幸福に暮らしている。真犯人は兄が犯人扱いされて殺されたことを幸運と思い、まだどこかでのうのうと生きている。警察はあの時のことを一切謝罪しないまま、忘れているように見える。幸生は復讐を始めた。

 野尾美咲の時のような偶然で真犯人が見つかることは期待できなかったが、警察に打撃を与え、七年前の事件を思い出させ、真犯人を最も高い確率で殺す方法は考えついた。当初は入浴剤と洗剤から作った硫化水素ガスを準備していたが、「使えそうなもの」を探して闇サイトを渉猟しょうりょうしている時、サイロームの噂と、「ジョーカー」という愚かな存在を知った。だが、サイロームを奪った幸生は、それを自宅に保管している時、誤って発生させた青酸ガスを吸入して死んでしまった。

 五十畑浩二は幸生のアパートを訪ね、幸生の遺体と残された日記から、息子のこうした事実を知った。彼は死んだ息子の顔を整え、その遺志を継いだ。



 午後二時三十分。

 五十畑浩二はリモコンを握ったまま、途切れ途切れに話し、そして沈黙した。

 俺は五十畑に悟られないように周囲を窺っていた。日曜の霞が関は驚くほど人通りが少ない。だが観光客らしき初老の二人連れが、歩道の彼方からこちらを窺っている。通る車のうち何台かは、乗っている人間がこちらを振り返っていた。近づいてきたら警告しなければならないが、そのまま一一〇番通報でもしてくれれば応援が来る。捜査員は一ブロック先、官庁ビルの陰にいるが、こうしていればいずれ誰かの目にも留まるだろう。

「俺は父親失格や」五十畑浩二は言った。「何も気付いてなかった。幸生は一人で闘っていたのにな。だから、せめて続きを俺の手でしてやらんとな」

「無関係の人間も殺すつもりですか?」海月は落ち着いた声のまま言った。

「いい悪いは関係ない。幸生の仕事を完成させてやるだけや」五十畑浩二は答えた。「お前らも、日本中の人間から叩かれたら、ちっとは反省するかもしれん。バカの一つ覚えみたいに、並んで頭下げる以外の反省を、な」

「五十畑さん」

 そう呼びかけた刑事部長の声があまりに静かだったので、俺は意外に思ってそちらを見た。刑事部長は銃を下ろしていた。がちん、と音がして、拳銃が地面に落ちる。

 ばたばたという足音が前後から近づいてきた。さっきの二人連れが通報したのか、日比谷公園付近にいた私服捜査員数名が駆けつけてきたのだった。

 だが刑事部長は、それを見ると声を張りあげた。「全員それ以上近づくな!」

 駆けてきた捜査員たちが立ち止まった。

「全員下がれ。二十メートル以上の距離をとれ。毒ガス使用、及び発砲の危険がある。この区画を封鎖して、市民を見える範囲に入れるな。捜査員の接近も禁止する。急げ」

 遠くから捜査員が返した。「しかし、刑事部長」

「こちらに人員は必要ない。命令だ。急げ!」

 前方の捜査員たちが敬礼して駆け去った。後方の数名もそうしたようだった。

 刑事部長は、俺が声をかけようとすると手を上げて制止した。眼鏡を取り、目頭を指で強く押し、また眼鏡をかけ直した。

「五十畑さん」刑事部長は口を開いた。「七年前の事件については、警察内部でも、彼が犯人であったという見立てに疑問が持たれている。マスコミには終わったかのように報道されているが、あの事件は現在も継続扱いなんです。当時の刑事部長と捜査一課長は更迭されましたが、実は内々に我々が後任につき、引き続き捜査をしています」

「だから何だ」

「息子さんのことは本当に残念でした。任意同行の手続きには慎重を期したつもりでしたが、それでも不手際があったことは認めます。申し訳ありません」

 五十畑が、はっ、と強く息を吐いた。「官僚やな」

 刑事部長はぐっと拳を握った。眉間に皺が寄るのが見えた。

 五十畑はその刑事部長に何か言いかけたが、不意に視線を横にそらした。

 視線の先を追って見ると、中年の刑事が一人、こちらに向かって歩いてきていた。刑事部長がその刑事に何か言いかけたが、それより先に中年の刑事の方が口を開いた。

「五十畑さん……」

 五十畑はリモコンを握ったまま顔だけ歪めて、その刑事を見た。「古森、やな」

 俺は五十畑がそう呼ぶのを聞いてから、ようやく気付いた。刑事部長の制止を聞かずにこちらに歩いてきたのは、殺人犯捜査第六係の係長だ。確かに名前は古森さんといった。

 古森係長は俺の横まで来ると、それ以上近づくのをやめて立ち止まった。彼は俺にも海月にも一瞥もくれず、痛みをこらえるような表情で五十畑をまっすぐに見ていた。

「五十畑さん、あんただったのか……」

「老けたな、古森」五十畑は古森さんを知っているらしく、彼の顔を見ると鼻で笑った。「そういえば、あんたは出世したんやったな。はん、警察ってとこは、人を殺せば出世できるんか。それなら俺も、ちょっと警視総監になってみるか」

 五十畑はそう言ってリモコンのスイッチに指を這わせた。

「やめてくれ!」古森さんが悲鳴をあげるように言った。「頼む、やめてくれ。無関係の人間を巻き込まないでくれ。もう少し……もう少しだから」

 五十畑が眉をひそめた。「……何だと?」

「あの事件は……西青梅少女殺害事件は、まだ捜査継続中なんだ。新たに容疑者も絞れてきた。本当だ。もう少しなんだ!」

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