初めて触れた彼女の手は、思ったよりも小さかった

【第27回】
部室のボヤ騒ぎから二週間。
彩子は潔癖症から卒業するため、ある治療法を試していた。
一方で、これまで押し込めていた気持ちとも向き合う決意をする――。
小説すばる新人賞作家・行成薫が描く、先読み不能の「超能力」エンターテインメント!

10

 放課後。

 早いもので、ボヤ騒ぎからあっという間に二週間が過ぎた。暑かった夏も終わって、そそくさと秋がやってくる。もう、夕方になると肌寒い風が吹くようになった。

 授業が終わる。いつもだったら、手を洗いに水飲み場へ走るところだ。だが、彩子のカバンの中には、ハンドソープも、アルコールスプレーも入っていない。手が汚い、洗いたい、という衝動を、歯を食いしばって我慢する。絶対に、手を洗ってはいけないのだ。

 手洗いは、彩子にとって、「汚い」という強迫観念を和らげるための儀式だった。だが、儀式を徹底すればするほど、外の世界を汚いものだと認識してしまう。今は、曝露(ばくろ)反応妨害法、通称・ERPという治療法を試しているところだ。手洗いという「儀式」を行わず、わざと自分を汚すことで、清潔という幻想で乖離(かいり)していた彩子の手と外の世界を、元通り、一つの世界に戻そうというものだ。

 開始から数日は、地獄だった。自分の手がバイキンに埋め尽くされているような気がして、ご飯を食べることすらできない。手が洗えないことに苛立って、家の中で泣きわめいたりもした。それでも、カウンセリングを受け、周りがサポートしてくれているお陰で、何とか二週間続けることができた。まだ、自分の手がバイキンに侵されているような感覚はある。それでも、手を洗いたいという欲求はなんとか抑えられるようになってきた。

 クラスメイトたちに、じゃあね、と手を振りながら、教室を出る。隣には、珍しく緊張した面持ちの菜々美がいた。彩子が、行こっか、と声を掛けると、小刻みに何度か頷いて、泣きそうな顔をした。

「大丈夫だってば」

 ざわつく校舎を出て、部室棟に向かう。大会明けの今日は、サッカー部の練習はお休みだ。部室には、誰も来ていないはずだ。

 部室の前に二人で並ぶ。菜々美が、くるりと背を向けて帰ろうとするところを、彩子が手を握って止めた。素手で、しっかりと菜々美の手を握りしめる。初めて触れた菜々美の手は、思ったよりも小さかった。

「失礼しまーす」

 多くの部員たちが触れているであろう、部室のドアノブを摑んで、彩子は部室のドアを開けた。まだ壁に焦げ跡の残る部室に、ポツンと一人、立っている人がいる。彩子と菜々美の姿を見ると、よう、と手を上げた。来栖先輩だ。

 菜々美の耳元で、がんばれ、とささやき、背中を平手で叩いた。菜々美が、ととん、と前に出る。彩子は、軽く手を振り、中には入らずに、部室のドアを閉めた。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

ある日とつぜん「役に立たない超能力」に目覚めてしまった5人。予測不可能の傑作エンタメ!

この連載について

初回を読む
僕らだって扉くらい開けられる

行成薫

もしも突然、「超能力」に目覚めたら・・・? 誰もが一度は抱いたことがあるそんな妄想が、ある日とつぜん現実になってしまった五人。さえない人生が一変!と思いきや、どれもこれも「制約」つきで、不都合満載、トラブル多発・・・こんな能力、いった...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません