無理無理、そんなの、絶対、無理!

【第24回】
父親の一言がきっかけで、潔癖症になってしまった彩子。
「これやると、治るらしいよ」と親友の菜々美に提案されるが、彩子にはハードルが高すぎる。
そんな時、夜の校舎で黒い煙を目撃し……。
小説すばる新人賞作家・行成薫が描く、先読み不能の「超能力」エンターテインメント!


「そんなことがあったんだ」

 菜々美が、カバンからハンカチを取り出して、彩子に差し出した。が、使えないか、と引きつった笑いを浮かべる。いつのまにか、彩子の目からは、涙が溢れていた。ありがとう、とだけ言って、彩子は自分のカバンからハンカチを取り出した。

「思い出しちゃった」

「なんかさ、辛くない? 毎日手を洗わないといられないって」

「辛いとか辛くないじゃなくて、気持ち悪くて、洗わないとやってられないから」

「気持ち悪いって思わなくて済むようになったら、楽じゃない?」

「それは、そうかも、しれないけど」

「アタシはさ、部のみんなの汗、好きなんだよね。部室とか、超汗くっさいけど。でも、それってさ、努力してるってことじゃん?」

「うん」

「アヤだってさ、辛いんじゃない? みんなの汗とか、汚いって思っちゃうことがさ。アタシが洗濯してる時とか、すごいしょぼんとしてるし。ほんとは、もっとみんなのために頑張りたいって思ってんじゃない? アタシ、アヤはそういう子だと思ってる」

 菜々美は、何も考えていないように見えて、時々鋭いことを言う。彩子が見ないふりをし続けてきた心の奥底の感情に、菜々美の言葉がぐさりと刺さった。

「そう、なのかな」

 菜々美は、また本をめくり、黄色い付箋のついたページを見せた。題名のところには、「ERP」なる英語が載っている。

「調べたんだけど、これやると、治るらしいよ、潔癖症」

「なにこれ。どういうこと?」

「まずさ、アヤが汚い、って思うものを触って、手を洗うのを我慢するの」

「いや、絶対無理だよ、そんなの」

「汚い手で、絶対触られたくないものって、なんかある?」

「基本全部嫌だけど、ベッドは絶対無理。触られたら、ほんとに死にたくなる」

「じゃあ、アヤが、自分で触るの。ベッドを。手を洗わずに」

 いやあ! と、彩子の口から金切り声が出た。

「無理無理無理無理、絶対、無理!」

「やってみないとわかんないじゃん、無理かどうか。ほら、本にだって書いてあるんだから」

「なんかちょっといい話っぽくしたけどさ、結局それで、来栖先輩のものを触らせよう、ってことなんでしょ!」

「だって親友でしょ! いいじゃない、助けてくれたって!」

 彩子と菜々美が、人でなし! このぱっつんボブ! と言い争いをしていると、教室のドアが乱暴に開けられた。うるせえぞ! という怒鳴り声が教室に響く。見ると、岡田が眉間にしわを寄せて立っていた。陸上部の練習が終わって、校舎の見回りに来ていたのだろう。

「下校時間、とっくに過ぎてるだろうが!」

「すいませーん」

 彩子と菜々美は、立ち上がって、そそくさと帰り支度を始めた。もう、ずいぶん長いこと二人でしゃべっていたらしい。グラウンドには誰もいない。都会の狭間、ぽっかりと空いた黒い空間に、点々と街灯の光が点っていた。

「岡田先生!」

 突然、菜々美が素っ頓狂な声を上げた。何事かと思って視線をやると、窓の外を指さして、目を丸くしている。

「うるさいな、なんだ」

「燃えてる! 火事! 火事だって!」

 彩子が、菜々美の指が示す方向に顔を向ける。街灯に照らされた部室棟の一室から、もくもくと黒い煙が吐き出されているのが見えた。

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