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話がある、という菜々美に連れられて、彩子は誰もいない教室に戻ってきた。もろもろの片づけを終えると、もうすっかり日が傾いていて、校舎に残っている生徒はほとんどいなかった。
「話って、なに?」
自席についた彩子の前に、菜々美は何冊もの本を積み上げた。図書室のラベルが貼ってあるものもあれば、書店で購入したであろう、新品もある。いずれにしても、どこの誰が触ったかわからない本たちだ。彩子は、悲鳴を上げて椅子ごと後ずさりをした。
「それさ、本くらいでそんなになるのって、異常じゃん?」
「だって、誰が触ったかわかんない本だよ? 汚いじゃん!」
彩子は、涙目になりながら、本をどかすよう菜々美に向かってわめき散らした。机が空いたとみるや、カバンから取り出したアルコールスプレーをヒステリックに吹き掛ける。菜々美はじっとりとした表情で、机をピカピカに磨き上げる彩子を見ていた。
「大げさなんだよ、アヤはさあ」
「だって、考えてみなよ。もしかしたら、お風呂にも入らないような人がさ、トイレに入って、手も洗わずに出てきて、そのまま本を読んだりしてるかもしれないんだよ?」
うわ、それはキモい、と、菜々美は顔をしかめた。
「いやでもさ、やっぱり普通じゃないよ、アヤのは」
「私からすれば、みんなが普通じゃないんだよ。無頓着すぎて、気持ち悪いくらい」
「言うと思った。そういうのってさ、ええと、なんだっけ」
菜々美は、一冊の本を摑みあげると、ペラペラとページをめくりだした。本にはたくさんの黄色い付箋がついている。菜々美はどうやら、昨日の部活後、彩子の潔癖症について調べていたらしい。
「強迫性障害!」
菜々美が、彩子に向かって、なぜか誇らしげに本を開き、目の前に突き出した。障害、と厳(いか)めしい漢字が並ぶと、なんだかおそろしい病気に罹(かか)ったように思える。彩子は、別に病気じゃないし、と反論した。
「このままいくと、本格的に病気になっちゃうよ」
「そんなことないよ」
「じゃあさ、手を洗うのやめられるわけ?」
彩子は消え入りそうな声で、なんでやめなきゃいけないの、と呟いた。
「普通にさ、触れるようになろうよ、いろんなものを」
「どうして?」
「もったいないじゃん」
「なにが?」
「超能力にきまってんじゃん、超能力!」
「別に、もったいなくないよ」
「なんで? 触っただけで、人の思いがわかったりするわけでしょ? すごいことじゃん、それって」
サイコメトリーのことを、菜々美に話したのは失敗だった、と彩子は思っていた。いつものように、二人で用具整理をしていた時のことだ。菜々美は、同じクラスの女子とケンカをした直後で、人の気持ちが知りたい、と落ち込んでいた。話の流れで、彩子は「ものに触ると、映像が見える」というようなことを話してしまったのだ。
何バカ言ってんの、と笑われるかと思っていたが、菜々美は思いのほかがっしりと食いついてきた。学校の勉強はからっきしだが、菜々美はオカルトやら超常現象に関しては、異様に知識が豊富だった。彩子の能力が「サイコメトリー」というものだと教えてくれたのは、菜々美だ。
「アタシなんかさ、小っちゃい頃からずっと、そういう特別な力が自分にあったらいいのにって思ってた」
「そう、なんだ」
「人を助けたり、奇跡を起こしたりする力かもしれないんだよ、それ。使わないなんて、もったいないってば、絶対」
「でも、どうしたらいいか、わからないんだよね」
菜々美は、また手元の本をめくり、かしこまった顔で彩子を見た。
「ねえ、いつから?」
「いつ?」
「手を洗い出すようになったの」
いつからだろう。彩子は、自分の小さな手を、きゅっと握りしめた。
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