明治の子供たちを沸かせた「努力・友情・勝利」
小説は大人の情欲と煩悩を描いてるから有害とされた明治中期、子供がおおっぴらに読めるのは、道徳教育に役立つとされた寓話や偉人の伝記の類だった。そこへさっそうと現れたのが、硯友社でデビューしたばかりの新人作家・巌谷小波である。
新興出版社だった博文館は、子ども向け叢書をスタートするにあたり、清純な少年少女恋愛小説で子ども描写に定評のあった巌谷小波に白羽の矢を立てた。1891(明治24)年、「少年文学」叢書の第一編として、『こがね丸』が刊行される。
父犬を虎(金眸大王)に食い殺されたみなしごの子犬が武者修行に出る仇討ち物語『こがね丸』は、印刷技術の発達による書籍の廉価化とあいまって、大成功を収めた。猟犬とのバトルを経ての友情、主人公の恩に報いるために我が身を捨てるネズミの自己犠牲、大けがを治す霊薬を持つ謎のウサギ老人、最後は犬たちが友情パワーでかたき討ちを果たす「努力・友情・勝利」な少年マンガ的ストーリーが、子供たちに圧倒的に支持されたのである。「犬生」と書いて「じんせい」と読みたくなるような熱い犬たちの物語が、物語に飢えた明治の子どもたちに人気が出ないわけがない。
巌谷小波『こがね丸』の新しさ
情欲も煩悩もなければ教訓もない巌谷小波のカラッとしたエンタメ小説は、とにもかくにも新しかった。医者になるため8~9歳からドイツ語を学び、いちはやくドイツのメルヘンを愛読して育った巌谷小波にとって、一番重要なのは芸術でも教育でもなく、面白さだった。『こがね丸』刊行当時22歳という若さも、子供の心をつかむのに有利に働いたのだろう。
江戸戯作文芸の流れをくむ勧善懲悪物語は、欧化政策の反動で国家意識が高まっていた時代にぴったりはまったのか、新聞・雑誌も『こがね丸』を好意的に取り上げた。序文を寄せたのは、かの文豪・森鴎外である。「奇獄小説に読む人の胸のみ傷めむとする世に、一巻の穉(おさな)物語を著す。これも人真似せぬ一流のこころなるべし」。
「奇獄小説」とは、探偵小説のことである。明治10年に日本初の翻訳探偵小説『楊牙兒ノ奇獄』が『花月新誌』に連載されて以来、西洋の探偵小説はすでにいくつか出回っていた。明治13年を舞台にした森鴎外『雁』にも、当時の文学趣味の青年たちが「まだ新しい小説や脚本は出ていぬし、叙情詩では子規の俳句や、鉄幹の歌の生まれぬ先であったから」、『花月新誌』で「西洋の或る大学の学生が、帰省する途中で殺される話」を読んだという記述がある。黒岩涙香の翻案探偵小説も人気があった。こうした探偵小説を大人の目を盗んで読んでいた子どもたちがいたからこそ、この序文なのだろう。
『こがね丸』出版の30年後に刊行された『三十年目書き直しこがね丸』の巻末には、「あれは九歳の冬か十歳の春でしたらうか。母親にかくれて八犬伝や春陽堂の探偵小説本などをぬすみ読みしてゐた時代に、初めておほつぴらに買つて貰つて読んだ本」と当時を振り返る元読者の感想が掲載されている。小説を禁じられていた明治中期の子どもが初めて大っぴらに読めた楽しい物語、それが『こがね丸』だった。
性・残虐描写ありの「少年文学」叢書
『こがね丸』も健全一辺倒だったわけではない。虎に鹿の愛人がいたり、ネズミの奥さんに横恋慕した猫がその夫を殺したりといった不倫描写に、批判が寄せられることもあった。動物たちがお互い殺し合う残虐描写は問題にもされず、それらの要素が『こがね丸』人気に陰りを落とすこともなかった。その後も「少年文学」叢書からは、母親とその浮気相手に父親を殺された幼い兄弟が浮気相手を殺す短編を収録した『五少年』(中村花痩)や、女郎買いの三題噺が出てくる『甲子待』(南新二)、残忍な刃傷沙汰が登場する『新太郎少将』(高橋太華)が出版された(「「少年文学」にみる子ども像」千葉俊二)。
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