美をさがし求めるのが私の生業である。
こんなうつくしいものを見つけた。
安藤忠雄建築が湛えている、光。
光のための巨大な装置
ああ、もったいない。そんな思いすら抱かせるたっぷりの光が、建築の内外に満ちていた。
六本木の国立新美術館ではいま、「安藤忠雄展 –挑戦−」が開催中。
東京・六本木の国立新美術館 12月18日(月)まで開催
会場隣接のテラスには、展示作品のひとつとして代表作「光の教会」が鎮座している。1分の1スケール、つまりは実物大の建築を、素材もそのままに建ててしまった。対面すれば、安藤建築の何たるかが実地に体感できるしくみというわけだ。
外観を眺める。秋の陽光が建築に降り注ぎ、表面でたゆたっている。コンクリート打ち放しの壁が黄金色に染まる。
内部へと回る。十字形の細いスリットが壁に入っていて、そこから外の光が我れ先に刻々と流れ込んでくる。なんてありがたいんだろう。十字の形の宗教的意味合いよりも先に、光が溢れているということそのものに、崇高さと歓びを感じる。
ああ、こうした光を見せるための巨大な装置なんだ、安藤忠雄の建築とは。そう思った。
安藤忠雄がコンクリートを用いる理由
安藤忠雄本人は光と建築の関係について、端的にこう言う。
「光が建築に生命を与えます」
そう、安藤建築はいつも、光のことを考えている。どの建築でもコンクリートの外観がたっぷり光を湛えて、一帯を柔らかく照らす。光の一部は巧みに誘導されて内部へと届いて、そこに居る者に改めて光の存在を強く意識させるようになっている。
人が光とともにある場を創出するために、安藤忠雄の建築はつくられている。そのように考えると、なぜいつも材料にコンクリートが用いられるのかもよくわかる。光をほどよく反射し、適度に受け止め吸収し、ある場所では遮断し一方では導き入れて、光陰の劇的な効果を演出する。光の受容体として最適の素材が、コンクリートなのだ。
無機的なコンクリートの塊が、光を帯びて生命を得る。その瞬間に立ち会えるから、安藤建築は美しい。
仕事の全体像をたどれる展示の様子と、本人がそこに込めた思いを、次回よりたっぷりどうぞ。
次回、安藤忠雄「建築は闘い。だから展名も『挑戦』と名づけた」へつづく
写真:飯本貴子