あなたは、いつも私をバカにする!

【第19回】
火の玉のような性格の母のせいで、父は家を出ていった。
苦い記憶を持つ亜希子は、夫との間に波風を立てないよう、感情を呑み込んできた。
しかし、ついに……。
小説すばる新人賞作家・行成薫が描く、先読み不能の「超能力」エンターテインメント!


「私は、信じられないんです」

「ご自分のお力なのに、ですか」

「信じたくない、のかもしれません。私、火が怖いんです。いつか、私から何もかも奪っていくような気がして、怖くてたまらないんです」

「私たちも、火を使って作品を焼いてはいますがね。私だって、火は怖いですよ」

「先生も、ですか」

 まさか、と、亜希子は首を横に振った。火の前に立つ津田からは、みじんも恐怖など感じられない。

「火の前では、いかに自分が無力か、つくづく思い知らされます。何十回と窯を焚いても、火は思い通りになってはくれませんから。でも」

 津田は言葉を切って、少し間を置いた。窯の中から、薪が激しく爆(は)ぜる音が聞こえてくる。 「火は、私に噓をつかないのです。決して」

 首にかけた手拭いで、絶え間なく滴り落ちる汗をぬぐいながら、津田は亜希子を真っ直ぐに見た。手には、サングラスを持っている。初めて露わになった津田の目に、亜希子は息を吞んだ。

「もうじき、私の目は光を失います」

 津田の両目は、ぱっと見でも状態がよくないとわかるほど、瞳が薄く濁った色をしている。それでずっとサングラスを、と、ようやく合点がいった。

「病院に行っても、治らないのですか?」

「網膜の細胞が死ぬと、再生しないんだそうです。ここ数年で、だんだん視野が狭くなってきておりましてね」

「そんな」

「私がこの目で最後に見るものは、この窯の、火の色になるんだろうと思うのです。きっとね、火が最後まで私に光を届けてくれる。そう思うと、火は恐ろしい反面、いとおしいもののように思えます」

 津田は、サングラスを掛けなおすと、また薪を火の中に放り込んだ。

「その火も、いつか見えなくなってしまうということですか」

「そうですね。でも、見えなくなるというのも悪いことばかりではありません。目が悪くなるにつれて、私は新しい世界が見えてくるようになったんですよ」

「新しい世界?」

「未来です。薄ぼんやりとして不確かですが、未来の世界が見えるようになりました」

「それは、あの、予知、ということですか」

「不思議な力を持った人間というのは、結構どこにでもいるものですね」

 雨はまだ降り続いているが、少しずつ小降りになってきている。窯の火はずいぶん安定した。きっと、もう大丈夫だろう。遠くには、晴れ間も見えてきた。雨雲の向こうに現れた赤い夕陽が、山を、津田を、そして亜希子を赤く染めて、美しく焼き上げているようだった。

「それじゃ、私のお皿を入れてくださったのは、もしかして」

「あなたが、窯の火に力を与えてくれる。私はね、それだけは見えていたのです。なので、力をお借りした。本当にありがとうございます」

 焼き上がりが楽しみですね、と、津田は無邪気に笑った。

 窯の中に、薪をくべる。赤い火が、ぱちぱちと音をさせながら、おいしそうに薪を吞み込んで、ゆらゆらと揺れる。

「いい音だな」

 一か月、毎日コツコツと石やレンガを積み上げて、夫は、ついにピザ窯を完成させた。半円型のドーム天井を備えた、なかなか本格的なものだ。

「このまま、窯の温度を、六百度まで上げていくんだ」

 夫はうんちくを垂れながら、備えつけた温度計に目をやる。生地を菊練りして、窯で火を焚いて、と考えると、ピザ作りも陶芸に通じるものがあるな、と亜希子は思った。ウッドデッキには小さなテーブルが用意されていて、朝も早くからえらいこと時間をかけて夫が作り上げたピザ、もといピッツァが、焼かれるのを待っている。

「くそ、おかしいな」

 窯に火が入ってから、ずいぶん時間が経っているが、夫が言う六百度には、なかなか届かない。三百度を超えたあたりから急に温度上昇の曲線が横ばいになって、そこから火が強くなっていかないのだ。

「薪が湿気(しけ)ってやがるのかな。温度計がイカれたかな」

 夫はぶつくさと文句を言いながら、薪をくべる。時折、舌打ちをしたり、つま先で窯を小突いたり、苛立ちを隠そうともしない。

「あの、ピザにラップしておきましょうか」

 津田窯での経験のお陰か、亜希子には、温度が上がらない原因がなんとなくわかっていた。夫のピザ窯も、津田の穴窯と同じように、ロールケーキを半分にしたような形をしている。規模の差はあれ、窯の原理はほぼ同じなのだろう。だとすると、決定的に違うところが一つある。煙突の位置だ。

 穴窯では、手前で燃やした火を窯全体にいきわたらせるように、煙突は窯の端、緩やかな傾斜の上に取りつけられていた。だが、夫の窯の煙突は、ドーム型の天井の真ん中から伸びているのだ。これでは、いくら薪を燃やしても、熱は煙突から上に逃げてしまう。とはいえ、そう事実を告げても、ひょいと付け替えるわけにもいかない。きっと、一旦窯を壊して、一から作り直すしかないだろう。指摘したほうがよいのか、判断が難しい。

「あの、ラップをかけたほうがいいですよね」

「うるさいな。すぐ焼くって言ってるだろう」

「でも、せっかくの生地が乾いてしまいそうだから」

「お前は本当にいちいちうるさいな」

 ごう、と音がして、亜希子の体内で火が渦巻いた。苛立ちのあまり、手が震えだす。寝不足で疲れていて、頭も痛いし体もだるい。それでも、ピザ窯が完成したというから、無理をして付き合っているのに。

「あなたは、そうやっていつも私をバカにする!」

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