女子が小説を読むと妄想の奴隷に?
明治中期の女学生に対しては、男子とは異なる方面からの小説害悪論があった。
小説の毒に至っては、実に社会を腐敗せしむるの恐れあり。(……)年少社会の情感を攪乱し、意志の堅実を喪失せしめ、妄想の奴隷、異感の犠牲たらしむるの不吉不詳招けばなり。なかんずく妙齢女子の如き、もし淫猥なる小説のため、一たびその潔白純情の情感に、汚穢の点染を受けんか、ついにこれを回復しあたわざるなり。
「小説に対する女子教育の注意」(『小説園』一八号、明治22年7月)
女子はたとえフィクションであっても、「淫猥」に触れると「妄想の奴隷」になり、取り返しのつかないことになると脅されていた。そこまで言われるほど、当時の小説は淫猥だったのだろうか。『小説神髄』では、小説とは人情と世態風俗を模写するものと定義されている。ではその人情とは何かというと、「曰く人情とは人間の情欲(ぱっしょん)にて所謂百八煩悩是なり」。情欲(ぱっしょん)と煩悩といえば、色恋沙汰ですよねえ、やっぱり。
女学生にショックを受ける小説家たち
初期の近代小説を読むと、性愛対象としての女学生がやたらとクローズアップされていることに気づく。二葉亭四迷「浮雲」は、漢語や英単語を交えながら議論する進歩的で「お茶ッぴい」な女学生に振り回される男子学生の話だったし、坪内逍遥は「細君」(明治22年)で、学はあるが女子力が低く、周囲やモラハラ浮気夫にないがしろにされる師範学校出の奥さんのせつなさを描いた。尾崎紅葉、山田美妙ら硯友社系の小説家は、女学生や女教師をふしだらな存在として扱った。小説家たちが「情欲」「煩悩」を描こうとしたとき、その題材としてまっさきに選ばれたのは、女学生だったのである。
近代小説が書かれ始めた明治20年代前半当時、尋常中学校は男子限定だったものの、すでにキリスト教系のミッションスクールを中心に50校ほどの女学校が存在していた。男に従属する無学な存在という儒教的な女性観が抜けきらない明治時代の男性にとって、欧米式の教育を受けた女学生は謎めいた異物だったのだろう。「日本の近代文学は、二葉亭四迷でも山田美妙でも、だいたい『女学生』という存在にショックを受けたところから始まっています。異性が知的である、つまり、対自存在としてあるということへの困惑から始まっている」(「共同討議 日本文化とジェンダー」)と柄谷行人が語るとおりだ。
古い女性観のまま若い女子を「傍観してありのままに模写」(『小説神髄』)しようとしたら、どうしても性的存在としての描写に比重が偏ってしまう。江戸の人情本とは異なるはずの近代小説が、依然として「淫猥」扱いされるのもむべなるかな。
現役女学生のリアルなガール小説
「性に奔放」「生意気」「軽薄」「頭からっぽのお人形」「勉強ばかりで女子力低い」等とキャラ化されていた明治20年代の女学生だが、当の女学生はどう思っていたのだろう。
二葉亭四迷「浮雲」第一篇発表から1年後の明治21年、日本女性による初の近代小説『藪の鶯』が刊行される。著者の三宅花圃は刊行当時19歳の現役女学生だったから、女学生ガールズトークの描写が極めてリアルだ。
「ですからこのごろは学者たちが。女には学問をさせないで。皆な無学文盲にしてしまった方がよかろうという説がありますとサ。少し女は学問があると先生になり。殿様は持たぬといいますから。人民が繁殖しませんから。愛国心がないのですとサ」と一人の女学生がぼやくと、ある女学生は「アアいやだワいやだワ。あたしはそんなことを聞くと。ほんとにいやになってしまアー。一生懸命で学問しても。奥様になりゃア仕事をしたり。めんどくさくっていやだワ。わたしゃア独立して美術家になるわ。画かきになるワ」とヤサグレ、別の女学生も「じゃアあたしも一心一到だから。この間理科で高点をとったから。それを規模にして理学者になろうか」と合いの手を打つ。性に奔放どころか、男性からの否定的な視線に絶望して、早くも非婚願望に目覚める女子もいたようだ。
一方で、「私しは文学が好きですから。文学士か何かのところへいって。御夫婦ともかせぎにするワ」と共働き志願の文学少女も登場する。学問に燃える上流階級のお嬢様であっても教職ぐらいしか生計の道がなかった時代、女学生の切実な関心は色恋沙汰ではなく、学問による自立だった。
「くされたまご」と女学校バッシング
当時発表された女学校小説の中でも、ぶっちぎりで論議を呼んだのは、明治22年2月に発表された「くされたまご」(嵯峨の屋おむろ)である。キリスト教系の女学校で教える美しい女教師・文子をヒロインに据え、酒を飲みながら男相手に小難しい恋愛論を語るインテリ女子の中身がビッチであることを暴きたてる、いわばスキャンダル小説だ。
ストーリーは、文子が美少年を誘惑して同衾したところを恋仲である学校創立者の息子に見つかり、「くされたまごめ」と卵を投げつけられ、父なし子を孕んで世間から白眼視されるところで終わる。ネット上の「生意気な女をぎゃふんと言わせてスッキリ!!」系の創作実話を思わせるたわいもない話だが、当時としてはハレンチきわまりない閨房描写に、新聞・雑誌は騒然とした。
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