夫婦でいるだけで、こんなに苦痛を感じるなんて

【第16回】
夫へのイライラを抱えながら陶芸教室へ向かう亜希子。
結婚して30年、夫婦でいるというだけで、苦痛を感じるようになってしまった。
この人となら、一生楽しく生きていけると思って結婚したのに。
小説すばる新人賞作家・行成薫が描く、先読み不能の「超能力」エンターテインメント!


 むっとする熱気の中をいそいそと歩き、寂れた駅前ロータリーにある停留所からバスに乗り込む。目的地は、遠くに見える鬱蒼(うっそう)とした山の中腹にある、「津田窯」だ。津田光庵という著名な陶芸家が開いた窯元で、週に一度、一般向けに陶芸教室を開いている。

 以前、美術館で展覧会を見た帰りに三葉食堂で夫の愚痴をぶちまけていると、オバちゃんから津田窯の陶芸教室を勧められた。精神を落ち着かせるのにどうか、ということらしい。ろくろに向かって集中するのは心を整えるのによさそうだ、と思って、少し前から亜希子は津田窯に通っている。

 バスに揺られて小一時間。市街地から山道に入り、何もないところにポツンと立っている停留所に到着する。初めて来たときは途方にくれたが、路肩に獣道のような細い私道があって、その先に津田窯がある。

「こんにちは」

 先に来ていた顔見知りの陶芸仲間に声を掛けながら、作業小屋に入る。プレハブのような建物の中には所狭しと焼き物が並べられていて、奥の広い土間が作業スペースになっている。

「あ、アッコさん、いらっしゃい」

「こ、こんにちは」

 陶芸界の重鎮である津田光庵は、さすがに、一般の陶芸教室には姿を見せない。受講生を指導するのは、津田の弟子たちだ。亜希子の面倒を主に見てくれているのは、奥村という、三十代前半くらいの若い男性だった。品評会で賞を獲るような新鋭の陶芸家で、なおかつイケメンである。

「もう少し待っててくださいね。今終わりますんで」

 頭にタオルを巻いた奥村は、作業台の上で陶芸用の土を練っていた。手のひらに体重を乗せて、粘土の中に含まれる空気を押し出していく、いわゆる「菊練り」という練り方だ。土に空気が入ったままだと、焼いたときに熱で膨張して、割れてしまうらしい。亜希子も練習中だが、上達するまでは奥村が土を練ってくれる。イケメンが、露わになった腕に筋を立てて土を練っていくさまは、なんとも眼福だ。

「今日は、ろくろでやりましょう。なんか、作りたいものとかあります?」

「作りたいもの、ですか」

 じゃあ、大きめのお皿を、と亜希子が答えると、奥村は、いいっすねえ、と笑った。

 まずは、大皿作りの基本を奥村に教わる。大きな今川焼のような形に整えた粘土をろくろにセットし、手で大体の形を作る。そこから、一旦円周の部分を垂直に立ち上げて、手を添えながらゆっくりと角度をつけ、皿の形に成形していくのだが、これが難しい。縁の位置が高いと、皿というよりは鉢になってしまうし、角度をつけ過ぎると、自重に耐えられずに潰れてしまう。皿の大きさ、土の硬さから、縁がヘタらないギリギリの角度を見つけ出さなければいけないのだ。

 何度か挑戦をしてみたが、もう少し、というところで皿が波打ち、あっという間にただの歪(いびつ)な土の塊になってしまう。亜希子はため息をつき、また一からやり直す。どうして思い通りの形になってくれないのだろう。腹の奥から、苛立ちが噴き上がってくる。もっと無心に、集中しなければ、と思うほど、亜希子の中の炎は強くなる気がした。

 周りの受講生たちは、次々と成形を終え、別の工程に移っていく。亜希子がうまくいかずに苦しんでいるのに、奥村はなかなか助けに来てくれない。焦りと恥ずかしさのせいか、顔がかっと熱くなって、暑くもないのに汗が滴(したた)り落ちてくる。

「大皿ですかな」

 急に声を掛けられて、危うくまた皿を潰してしまいそうになった。誰だ、と振り返ってみると、サングラスを掛けた仙人のような老人が一人、亜希子の手元を覗き込むようにして立っていた。

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