あのね、特別なんてのは、特別な人に起こるもので、私や君には一生縁がないもんなんだよ

御巣鷹山の悲劇は空前絶後ではなかった。史上最悪の航空機事故は仕組まれたのか。幾人もの事故関係者と遺族、生存者の証言から浮かび上がる謎の数々。刊行自体が「アクシデント」な劇薬小説。志島理人の証言、中編です。
『タモリ論』で「いいとも」終了を予見した樋口毅宏さんが、満を持して放つ巨篇『アクシデントリポート』を特別掲載いたします。

いばらの道を駆けずり回るような、多忙な日々が過ぎていきました。売り上げが緩やかに下降していく中で僕は、何より汗をかくことが好転への一歩と信じていました。しかし、状況はそう甘くなかった。

 会社は事業をテレビやCDラジカセといった家電からITへと大幅に転換しようとしていました。しかしアップルにその後スティーブ・ジョブズが復帰してから、MacOS、iMac、iPodと、立て続けに大ヒット商品を世に送り出し、デジタル機器の世界地図をまったく新たなものへと塗り換えていくことを、まだ誰も知らなかった。

 アップルは落ち目で、一九九五年に買収する計画が持ち上がっていた。あれが運命の分かれ道だったと前の社長が言っていましたけど、ジョブズが戻ってきたから今のアップルがあるのに、わかっていないなと思いました。

 八〇年代に全盛を誇った帝国に、凋落の陰りが近づき始めていた。この頃から株価も下がりだした。だけどみんな見ないふりをしていたんです。「どうにかなる自分を信じろ」「今までも何とかなった」「陽はまた昇る」「こんなに一生懸命働いているんだもの」「上司に進言したいけど逆らえない」「空気を読め。忖度しろ」

 僕たちは、何を無邪気に信じていたのでしょう。

 倒産の実例を挙げた経営学の本を少し齧ればわかります。終わりは前触れとともにやってきます。どうして僕たちは、その前触れにさえ目を瞑って、「終わり」に足首を掴まれるまで気がつかないのでしょう。きっと遥かむかし、エジプト文明もローマ帝国も、そうやって滅んでいったのです。

 僕たちはいにしえの人々と比較にならないほど快適で贅沢な生活を送っているけど、その実少しも利口になっていない。誰がどう見てもこの国は沈んでいってるのに、いまだに目を背けている人たちがいる。とっとと僕のように、みんな日本から出ていくべきなんです。他の国の言語を喋れないし……なんて心配することはない。行けば必ず何とかなります。

 必死になって日本にしがみついていても、僕たちには華奢な未来しか用意されていないのだから。


 僕が二十四歳の、真琴が二十九歳の誕生日を迎える真夜中のことでした。成果主義の社風のため、残業の少ない会社でしたが、日付が変わる直前の時間にオフィスに残っていたのは、僕と彼女のふたりだけでした。

「お互い誕生日なのに仕事とはつらいですなあ」

 山積みになった資料の向こうに、僕は話しかけました。

「先輩は、アレですか。仕事が恋人なんですか?」

「キス未遂事件」からちょうど一年が経過していました。その後もふたりで飲みに行くことはあっても、恋人へと進展するような出来事は起こりませんでした。もう一度大きな受注を取り逃したらいいのに……。そんなことさえ考えていました。

 僕は手元の紙を丸めてメガホンに見立てて、もう一度山の向こうに声をかけました。

「井山真琴さーん、恋を何年休んでますか」

 図らずも、数年後に放送されるドラマのタイトルが、僕の口をついて出ていました。姿は見えませんでしたが、彼女の反応を感じました。

「うっさいなあ。自分が付き合ってほしいだけだろ。しゃあない、あんたでガマンしてあげるよ」

「ありがとうございまーす」

「ほら、お金出してあげるから。好きなもん買っといで」

「誕生日プレゼントですか。僕も出しましょうか」

「そこまで落ちぶれてないよ」

「ヤバ。十二時になっちゃう。買ってきます」

 近くのコンビニまで急ぎます。缶ビールを何本か掴み、つまみをいくつかセレクトしながら、頭のなかでドキドキが止まりません。秘密兵器というか、とっておきの切り札を用意していたからです。

「おまたせしましたー」

 十二時五分前、オフィスに戻ってきた僕は、ガラス張りのドアの前に置かれた丸テーブルに缶ビールやスナックなどのつまみを広げます。

「あんま奢ってもらってばかりで悪いんで、僕も先輩のために買ってきました」

「要らないよ、コンビニで売ってるものなんか」

 真琴がこちらにやってくると同時に、僕はオフィスを出る前に隠し持っていた小箱をポケットから差し出します。

 真琴のそのときの表情—。思えばあのとき初めて、「会社員」や「先輩」ではなく、「女」の顔をした彼女を見たのです。

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アクシデント・リポート

樋口毅宏

御巣鷹山の悲劇は空前絶後ではなかった。史上最悪の航空機事故は仕組まれたのか。幾人もの事故関係者と遺族、生存者の証言から浮かび上がる謎の数々。刊行自体が「アクシデント」な劇薬小説。 『タモリ論』で「いいとも」終了を予見した樋口毅宏さん...もっと読む

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