我々はよく撮影現場で「いつものようにしてくださいね」と伝えるのだが、カメラがいてマイクも向けられて自然にできるはずがない。何回も通い、慣れてもらうしかないのだが、今回はそれもできなかった。
中本さんはそんな「非日常の空気」を「日常」へと一瞬で変えた。
恐らくヒロキの性格、私の雰囲気や印象などから、こんな感じかなと“勘”が働いたのだと思う。とにかく日常の空気が、撮影できることになった。
ヒロキは、中学2年生の時に教師に暴力を振るったため、保護観察処分になり、中本さんが担当の保護司になった。それから半年ほどこの家に通うことで、徐々に性格が落ち着き、立ち直りの兆しを見せていた。
中本さんの家は、玄関を上がるとすぐに台所があり、そこにテーブルと椅子が2つある。ヒロキは家に上がり、中本さんの料理する後ろ姿が見えるほうの椅子に腰掛けた。中本さんはすでに作っていた料理を素早く盛りつけ、ヒロキの前に次々と差し出した。
この日のメニューは、一口サイズの小さい餃子に味噌汁、そして中本さん定番のちらし寿 司。ちらし寿司は作り置きができるため便利なのだそうだ。
中本「あんたはこれがいるんじゃったな?」
と中本さんは慣れたようにマヨネーズをヒロキに手渡した。
ヒロキ「いただきます」
ヒロキが食べ始めると、中本さんはヒロキの正面の椅子に座り、頬づえしながら、その様子を眺めていた。 私たちは、その2人の空間を邪魔しないようにヒロキの背後に回り、その様子をしばらく 撮影し、味噌汁を一口すするのを待って、ヒロキに話しかけてみた。
Q……「中本のおばちゃんは、どんなおばちゃん?」
ヒロキ「すごくいい人」
Q……「どんなところが?」
ヒロキ「ご飯を食べさせてくれたり、相談にものってくれたり……。
普通の人なら、放っておくのに、ちゃんと真剣に、俺らのこと、相手してくれる」
中本「ほうじゃと」
中本さん、背もたれにのけ反りながら照れ笑っている。
Q……「中本さんちは、どうですか?」
ヒロキ「この家は……落ち着く!」
ヒロキのストレートな言葉の連続に、中本さんの照れが限界にきた。
中本「どうしてじゃろうか? こげな狭い家で落ち着くってみんなが言うんじゃが、ウチも不思議なんよ。どこが落ち着くんね。こげな狭い家で」
ヒロキ「よくわからんけど、落ち着く」
あとで知ったのだが、ヒロキは中学時代、評判の不良だったという。先生の誰もが手を焼き、警察の世話になることも度々あった。しかし、この時私たちの目の前にいたのは、きちんと受け答えができる、まっすぐで素直な少年でしかない。
ヒロキの過去の状態も知っている中本さんにとって、カメラの前で一生懸命質問に答えようとするヒロキの姿は、我々の驚きをはるかに超えた感慨深いものがあったに違いない。
中本さんの表情からは徐々に照れが消え、ヒロキが箸はしを進める様子を愛情深く見つめながら、自然とこう言葉がこぼれてくるのであった。
中本 「ほんまこの子は気になる子。ご飯は食べよるんじゃろうかとか、この頃は全く、悪さをしないというふうに思うとるけど、ここに来んときは、万引きして食べたんじゃなかろうかとか、そういうふうなことはよく思いよったよ。ほんと、万引きも全くなくなったよの」
ヒロキの小さくうなずく様子が後ろからわかった。
Q……「昔は悪さしたの?」
ヒロキ「はい……」
中本「そりゃ.悪さはピカイチよね。エリートじゃけん。深夜徘はい徊かいは、しょっちゅうじゃったろ?」
テレビカメラの前で豪快に自分のことを代弁する中本さんの様子がおかしかったのか、ヒロキは味噌汁をすするのをやめ、むせ始めた。
Q……「何で悪さをしないようになったの?」
ヒロキ「裏切りたくないけん……」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声が口から漏れてきたかと思ったら、今度は少し大きめの声で、こう続けてきた。
ヒロキ「ばっちゃんと約束したし、よくしてくれるけん。裏切りたくないけん」
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